PTAのホントのところ

PTAで調べたこと。PTAの基礎知識と問題点。入退会自由なのか?。非会員の子は行事参加できないのか?など

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人目を気にしすぎ!!

PTAに関わっているとよくわかることですが、


皆さんとにかく、

人目を気にしすぎ!!

「他人からイイ人と思われたい…」
「他人から悪く思われたくない…」
「村八分にされるかも…」


そんな心理が、ものすごくよくわかる場なのです。




人目を気にしすぎて、

イヤなことはイヤと言えず、
自分の意見をハッキリ言うこともできず、
無難な道(今まで通り、みんなと一緒)ばかりを選びます。

それが、自分をキズつけることになったとしても、どれだけ他人に迷惑をかけることになったとしても、とにかく「他人に良く思われたい」「他人から悪く思われたくない」という心理を優先するようです。

(「人目を気にしすぎ」なら、他人に迷惑をかけるような行動をするはずがないと思われがちですが、実際は、他人に迷惑をかけることにつながることが多いので、人間心理とは面白いものです。)



その優先具合は、異常ともいえるほどです。
人生における大事なものを全て売り渡してでも、とにかく「悪い人と思われたくない」を貫き通していると感じるほどなのです。

もちろん全員がそうだというわけではなく、個人差はあるわけですが、「無難が一番」という空気が、その場に高濃度でたちこめており、逆らうことは非常に難しいものがあります。

大げさだと思われますか?
これが大げさかどうかは、PTAの現状と問題を知っていただければ、よくわかるはずです。



いま、PTAはとてつもなく問題のある組織になっています。
それは、おそらくPTAが「人のマイナス面を増幅しやすいシステム」だからでしょう。

ただ、PTAというシステムは確かに問題があるのですが、「増幅器」であるだけなのだと思います。PTAというシステムは、人のマイナス面を増幅させますが、うまく使えば、プラス面も増幅することが可能だと思うのです。

問題の根本原因は、『それぞれの個人』にあるように思います。


個人個人が、

不安・心配・人間不信・罪悪感・無価値感・不平不満・強迫観念・被害者意識

といったネガティブなものを、とにかくたくさん抱えているようです。

普通にしていると、ネガティブはそれほど目立たないのですが、よく観察していたり、なにかちょっと事があったりすると、見えてきます。
それが、PTAという増幅装置によって、恐ろしいほどにふくれあがるのです。


個人個人のネガティブがそれほどでもなければ、たとえ入退会自由が明示されていなくても、優先度の低い活動は自然と淘汰され、負担は少なくなり、お互いの事情を思いやることができる、居心地のいい場になっていると思われます。


PTAのシステムが多々問題ありなのは確かですが、やはり根本原因は個人個人にあるようなのですね。


いずれにしても、とにかく、、

人目を気にしすぎ!!

なのです。


個人的な考えですが、

PTA問題の一番の原因は、

この「人目を気にしすぎ!!」にあると思っています。



本当は、やさしい人や理解ある人は、必ず何人かはいるものですし、少々、皆と異なる発言をしたくらいではせいぜい一部の人に陰口をいわれるくらいであり、村八分になるはずがないのですが…。それに、何をしたって何を言ったって、嫌われる人には嫌われるし、好かれる人には好かれるものではないでしょうか。長年、人間観察をしてきましたが、そういうものですよ。


「人目を気にしすぎ!!」「心配しすぎ!!」という属性は、PTA以外の場では目立ちにくいです。しかし、当人の人生に強い影響を与えていると思います。じっさい、「人目を気にしすぎ!!」で、家族がバラバラで、不平不満ばかりの不幸な人生を歩んでいる人を知っています。そこまで極端な人はあまりいないと思いますが、やはり人生の本質的な部分に、かなりの影響を及ぼしていると思いますよ。

「人目を気にしすぎ!!」の背後には、強力な人間不信(自分への不信と他人への不信)があるからです。



PTAは、そのようなネガティブ感情をあぶりだし、認識させてくれるという意味では、最適な場といえます。心の修行の場として、素晴らしいのかもしれません。

せっかくの機会ですから、ご自分の心の整理に、活用されてみてはいかがでしょうか。



人目を気にしすぎ! わかりやすい例 に、続く。
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人目を気にしすぎ! わかりやすい例

前回の記事、「人目を気にしすぎ!!」ですが、わかりやすい例をあげてみます。

≫≫ PTA自由化の風刺イラスト

このイラストの上半分の各キャラクターを見てください。
いずれも、「人目を気にしすぎ!!」ということが、よくわかっていただけると思います。
そして、下半分の各キャラクターは、「人は人、自分は自分」というスタンスで、自分に正直に生き、かつ、健全な人間関係を築いていることが、わかっていただけると思います。
基本的に、上半分は「人間不信」です。下半分は「人(自分と他人)を信じる力」が見えます。



≫≫ 豪華客船 PTA号
このイラストの上の船にカベがあります。救命ボートを、会員から隠しているカベです。

このカベは、「人間不信」を表していることが、お分かりいただけるでしょうか?
そして、この「人間不信」のカベこそが、高負担も、もたらしています。

いずれにしても、根底にあるのは、「人間不信」でしょう。

一人一人の、「人(自分と他人)を信じる力」が試されているわけです。



≫≫ PTA的寓話 『パティシエ・ナイン』
この『パティシエ・ナイン』は、とても好評のようです。
お菓子作りをする9人のママの人間模様の話です。
9人のママ、いずれも「人目を気にしすぎ!!」なのが、わかっていただけると思います。
世話焼きママチームのDさんEさんFさんは、人の話をまったく聞かないし、人目を気にしているようにみえないかもしれません。ですが、じつは、ものすごく人目を気にしています。
よく観察していただければ、「人に良く思われたい」という気持ちが、ありありとわかるはずです。「人に良く思われたい」という気持ちが、必要以上になければ、あのような行動に出ないはずです。「人に嫌われたくない」という気持ちも、ある程度、みてとれます。単に、善意で行動しているならば、ありえない発言も出ていると思われます。また、彼女たちが、自分に正直に生きているわけではないということも、わかっていただけるのではないでしょうか。



≫≫ PTAのここがイヤ~!(つきぐまさんの学校探検隊)
このページは全体的に、とても説得力にあふれる、すごいページです。リアリティが半端ではありません。
その中でも、特に秀逸な部分を抜粋して紹介いたします。



みんな、広報委員会は必要ないし、広報紙も作りたくないけれど、でも広報委員会を無くすのもイヤだし広報紙を無くすのもイヤなんだって。
 で、全員の回答は「広報紙を作るのはとってもイヤだけど、頑張って耐えて作る」だった…。

アンタら、マゾか?(笑)

(中略)

そう、ココで大事なのは「みんな」であり、「みんな」に従うことが「よい」ことで
「自分」に従うことは「悪い」こと。万が一にも「自分」が「みんな」とちがった場合でも
「自分」に従うことは自分勝手で「悪い」ことで、必ず「みんな」に従わなければならない。

そういう価値観が多分にある。



あとは、ご自分の体験に照らし合わせて、考えてみてください。


「自分に厳しく、他人に優しく」はありえない!?

「自分に厳しく、他人に優しく」はありえない!?


「自分に厳しく、他人に優しく」
という言葉を聞くことがあります。

自分には厳しくて、他人には優しくできるような人間が、一番すばらしいと考えられているということなのでしょう。



しかし、この言葉を聴くと、なんとなくPTAを思い浮かべてしまうのです。

つきぐまさんの言葉ですが、、、

そう、ココで大事なのは「みんな」であり、「みんな」に従うことが「よい」ことで
「自分」に従うことは「悪い」こと。万が一にも「自分」が「みんな」とちがった場合でも
「自分」に従うことは自分勝手で「悪い」ことで、必ず「みんな」に従わなければならない。

そういう価値観が多分にある。



この価値観は、ホントにPTAを象徴していますね!


「自分に厳しく、他人(みんな)に優しく」
という在り方が絶対であり、それ以外の在り方をする人間は自分勝手だ…

みたいな空気が、あるように感じます。




しかし、心理学の本や小林正寛さんの本によると、
「自分に厳しく、他人に優しく」
というのは、ありえないそうですよ!



小林正寛さんは

「自分に厳しく、他人に優しくできる人を見たことがない」

と、おっしゃいます。


確かに、わたしも見たことがありません。

他人に優しくできる人は、皆、ある程度は自分に価値を認め、優しくできている人です。


心理学の本では、

「潜在意識は、他人と自分を区別しない。」

といわれます。


他人への判断回路と自分への判断回路は、別々ではなく、共通のようです。



「自分に対する態度」≒「他人に対する態度」

に、自然となってしまうのですね。



いくら、表層意識では、「自分に厳しく、他人に優しく」を心がけても、、、潜在意識の影響で、他人にも厳しくなってしまうのです。


「自分に優しくできる人が、他人にも優しくできる」ということのようです。


はじめは、「ホントかな?」と思いました。

しかし、よくよく考えてみると、確かに、自分を大事にしない人は、全員、なんらかの形で他人に厳しい人でした。



自分に厳しいルールを当てはめる人は、自然とそのルールを他人にも当てはめ、厳しい見方をしてしまうのです。




PTAでいうと、「PTAはヤラナクチャイケナイ!みんなもやってる!」と自分にルールづけする人は、他人に対しても必ずそのルールづけをするということです。他人には「大目にみる」ということは、ほとんどないのです。



PTAでなくても、、、
自分に「好きなことをする」ということを許していない人は、他人に対しても「好きなことをする」という価値観を許すことが難しいようです。

(そういえば、好きなことや趣味が、「特にない」という人が多いような気がします。)



したがって、本当に優しい人になろうと思うなら、、、

「まず、自分に優しくする」 のが、いいんですって!!


すると、自然に、、、「自分に優しく、他人に優しく」 に、なれるそうです。


じっさいやってみて、本当にその通りだと実感します。

自分もハッピー、みんなもハッピーです。



いまのPTAの世界は、
「自分に厳しく、他人に厳しく」を具現化した世界にみえます。
だから、ハッピーな人が少なく、自分も他人も辛くなるのですね。



日本人というのは、、、

「自分に優しくする」ということに、とても罪悪感を感じるようです。「自分に厳しくする」という概念のほうが、スンナリ受け入れやすいのではないでしょうか。そのほうが、立派な人間であるという価値観があるからでしょう。

しかし、この世の中で一番大事な人間関係は、自分自身との関係だと考えます。


自分との関係が辛いものであれば、幸せになど、なれるはずがないのではないでしょうか。


自分さえ大事にできない人が、他人を大事にできるはずがないと感じます。


ですから、やはり、「まずは、自分から」。


「自分に厳しく、他人に厳しく」 (縛り合い、責め合い)


 ⇒ 「自分に優しく、他人に優しく」 (皆、ハッピー)


が、オススメです。




【参考記事】

≫≫ 友だち付き合いのうまい人、下手な人  All About

これによると、「自分を大切にする」「自分一人の時間も充実して過ごす」ことが、いい友達づきあいのポイントらしいですよ!


自分一人でいても孤独感がなく、「誰かとつながっていないと不安」という焦りもない。このように自律した心を持っている人は、支配的、依存的にならず、友だちを純粋に尊重できるからです。


うーん…。PTAの人間関係と、正反対ですね。


この記事は、全体的に、いい人づきあいを考える上で、ものすごく参考になります。

PTAの人間関係は「いい人と思われたい」「悪い人と思われたくない」「仲間はずれにされるかも」という気持ちが大きくなる傾向があります。それで、かえって、いい人間関係を築きにくくなるのではないかなあ…と感じるのです。

もうちょっと、気楽に生きるほうが、いい人間関係が築きやすいみたいですよ。


まず、自分が精神的に自立するのが大事なのですね。





自分を虐待していませんか?



PTAでは、「心が狭いな~」とつくづく思うような発言があります。

「PTAを退会するなんて、なんて自分勝手でズルイ人なんでしょう。」

「PTAが整理してる図書の本を使わないでくださいね。」

「PTAと学校は一体です。PTAがイヤなら、PTAのない学校に行ったほうがいいんじゃないですか?」

などなど。


ほんと、「心が狭いな~~」と感じます。

一般のボランティアは、ほんとに善意でやってますから、こんな「心が狭い」ようなことはないです。
PTAは(実質)強制で、イヤイヤやってるもんだから、こんなふうに、心が狭くなっちゃってるんでしょうね。


ジャンポルスキー博士の『人を許すのは、自分のためです』という講演で、次のような言葉がありました。

「誰かを許さないというのは、囚人を閉じ込めておくための看守の仕事を24時間やることと似ている」


ホントに、そう感じます。

「PTA活動をやらないなんて、ズルイ!」
というふうに、「他人を許さない」ということは、24時間、自分もその考えに拘束されるということです。

「ズルイ!」と思うということは、「やりたくないけど、やらなくてはいけない」と思っているということでしょう。

他人を許さないたびに、「やりたくないけど、やらなくてはいけない」という考えに、より強固に、自分を縛ってしまうのです。


「きっと、よくなる!」本田健 より抜粋

「自分の本質に合わないこと」をやると、人生が楽しくなくなります。それが仕事であれ、遊びであれ、自分らしくないことは、幸せな人生へのいちばんの障害だといえるでしょう。
(中略)
ある心理学者が虐待の定義を教えてくれました。それは、「望まないことを無理に強いること」だそうです。他人がイヤがることを無理にさせたら、それは虐待になります。しかし、自分が嫌いな仕事を自分にさせても犯罪にならないのは不思議な話です。



PTAは、実質強制で、望まないことを無理に強いています。
つまり、「PTAは虐待をしている」ということになるでしょう。


しかし、それだけではないように感じます。


結局は、自分で自分を縛っています。「人目を気にしすぎ!」のせいか、自分で、自分に望まないことを無理に強いています。

自分を、虐待していませんか?

結局は、自分がどうしたいか、自分に合ったことは何かなど、自分の本質を知ることがキーになるのでしょう。

他人からどう思われているかを気にしすぎて、自分の気持ちも本質もわからなくなっているのが、現状ではないでしょうか。
そして、自分を虐待していることになっているのではないでしょうか。


もし、幸せになろうと思うなら、「自分の本質に合わないことはやらない!」と決めることです。

本田健さんの受け売りです(笑)。




waka-mail.com

より抜粋

私はアメリカのシアトル郊外に暮らして18年になり、5年に1回の割合で一時帰国し、数ヶ月を日本で過ごして来ました。そのたびごとに感じるのは、その「望まないことを無理にしいる」人が、いかに多いかということです。

そういう人を避けるのこそ、<心の平安>を得て、幸せに暮らす重要な第一歩かもしれません。     


考えさせられる言葉です。



ミンナ主義(同調圧力)の心理実験

どうやら、人間というものは、「ミンナやってるから」という言葉にとても弱いようです。日本人は特にそういう傾向があるといわれてますね。


「民主主義」ではなくて、「ミンナ主義」です。


PTAでも、「ミンナ」という言葉が多様されます。
「私が・・・」という主語を使うことが滅多にないんですよ。
「ミンナが」「誰かが」という主語を使うんですよ。
自分の意見に自信がないから、「ミンナ」という権威に頼りたいのでしょうか。

「そんなこと言ってるの、あなた一人だけですよ」というのも、強烈な殺し文句になるようです。

あまり、「ミンナ」という言葉を多用すると、個人(自分を含む)の自発性や自主性、自尊心を殺いでしまう危険性があります。教育上、非常によろしくないです。



さてさて、そんな「ミンナ主義」の心理を証明する面白い実験があるのです。

心理学者アッシュが集団心理の実験です。
とても有名な実験ですから、「アッシュ 実験」で検索すると、いろいろヒットします。

以下の記事がとくにわかりやすいので、引用させていただきます。
≫≫ アッシュの実験:同調しちゃう
(全文、とても面白いので、ぜひリンク先を読むことをオススメします。)
より抜粋

(A)----------------------------

 「(A)と同じ長さなのは次のうちのどれか?」という問題。

 (1)------------------------
 (2)----------------------------
 (3)--------------------------

 正解は(2)である。
 しかし、7人の回答者がいて、そのうちの6人が全員一致で別の答を述べた後、最後に応えた被験者は(2)ではなく、他の6人(実はサクラ)と同じ答を選びやすくなるというものである。

 「心理おもしろ実験ノート」(渋谷昌三著、三笠書房「知的生きかた文庫」)101ページ「5 なぜ多数派の意見に同調してしまうのか?」によると、123人の被験者のうち自分の判断を守り通したのは29人(24%、4人に1人)だそうだ。4人のうち3人は自分の判断を曲げても間違った他人の意見に同調してしまうのだそうだ。

 この「罠」は7人全員の答が一致した実験を2度行った後の3度目の実験だそうだ。最初の2つの実験が行われなかったらどうなるか分からない。もしかしたら自分の判断を曲げない人がもっと多かったかもしれない。
(中略)

「心理おもしろ実験ノート」にはアッシュの実験の解釈として次のように書いてある。

 なぜすべての被験者に同調が見られなかったのかというと、被験者の中には、他人の意見や他人からの承認というものをまったく気にしないで、自分の能力や価値観に自信をもっている人もいたためです。とすれば逆に、多数派の意見に従った多くの人には、自信を欠き、自尊心が乏しく、集団の圧力に屈しやすいという特徴が当てはまることになります。



いかがでしょうか。
とても面白い実験だと思います。

また、「ミンナ主義」に従う人は、自信を欠き、自尊心が乏しいという見解も、よくわかります。


「ミンナ主義」から脱するためには、一人一人が、自尊心や自分の価値観への自信を養うことが大事ということでしょう。
それが個人的な幸せにもつながると思いますし、一石二鳥ではないでしょうか。

【自尊心】は、「幸せ」の一番大事な要素であると感じますし、教育においても、ものすごく大事なキーワードです。


自分のあるがままの価値を認めて、他人のあるがままの価値も認めて、お互いに、自尊心を高めあっていけたらステキですね。

「自分に優しく、人に優しく」です。


≫≫ 面白い心理学実験の実例を教えて下さい。
(この記事もとても面白いので、ぜひリンク先も読んでみてください。)
より抜粋

「アッシュの同調実験は、学校の現場でいじめが起きたトキにそれが見て見ぬ振りをされがちであるコトを抽象化して示したと言えます。ですが一貫してそれを告発する人が一人でもいれば、見て見ぬ振りがなくなる糸口となる可能性がある、ということかもしれません。」


「いじめ」はPTAでも学校にでも、よくある問題です。
だから、ますますこのような知識が「自立力」につながるのですね。


≫≫ 日常生活や社会問題に貢献する実験心理学研究について
この記事も、とても参考になります。

いろいろと考えさせられるアッシュの実験でした。


「恩」の心理実験

PTAでは「恩」の概念が、よく出てきます。

「学校にお世話になってるのだから…」
「PTAの恩恵を受けておいて、お返ししないのはズルイ」
そんな言葉が、PTAにはたくさん出てきます。

どうやら今の日本のPTAは「無条件の愛・無償の善意の奉仕」で成り立っているのではないようですね。


「恩は返さなくてはならない」という心理が人間にはあるようです。それを「返報性」と呼びます。

そんな「返報性」の実験で、有名なものをご紹介いたします。


--------
とある待合室に、二名の男性(AさんとBさん)がいました。
知り合いでもなんでもありません。

Aさんが、コーラを買いに行きました。

Bさんの分まで、コーラを買い、「どうぞ」と何気なく渡しました。

Bさんは、じつは、コーラはそれほど好きではありませんでした。
頼んでもいないのに、Aさんが勝手に買ってきたのです。


それでも、Bさんは「ありがとう」と受け取り、二人でコーラを飲みました。


その後、ころあいを見計らって、Aさんは、Bさんに「宝くじを何枚か買わない?」と持ちかけました。


BさんはAさんにコーラをおごってくれたという「恩」を感じていたので、ついつい、4枚も宝くじを買ってしまいました。

-----------------

心理実験なので、
「自分の分だけコーラを買ってくる」
「相手の分までコーラを買ってくる」
の両方のパターンを、何回もテストしています。
(もちろん、人は変えます。)

「自分の分だけコーラを買ってくる」
よりも
「相手の分までコーラを買ってくる」
ほうが、
買ってくれる宝くじの枚数は、平均して、2倍になったそうです。


2倍ですよ!!


Bさんはコーラがそれほど好きでもないかもしれないのに。
頼んでもいないのに。
自分で飲み物を選んだほうが、ずっと美味しく飲めただろうに。
宝くじは、コーラよりずっと高いのに。



それだけ、「恩は返さなければならない」という概念が、一般的に強いことを物語っているのでしょう。



ちなみに、企業がよく試供品(サンプル)を配るのは、この「恩は返さなければならない(返報性)」の概念も計算に入れてのことらしいです。

PTAは、、、どうなんでしょうね。計算にいれてるのでしょうか。
「学校やPTAにお世話になってるんだから・・・」の発言が多いので、やはり、なんとなく計算されているような気がします。


個人的な意見ですが、、、
恩を感じるのはいいことですが、無理してまでは返さなくていいと思います。
また、恩を与えた側が「恩を与えたのだから、返すのが当然」と圧力をかけることは、ものすごく信用を失う行為だと思います。

コーラをおごってもらったら、好意として、素直に受け、感謝しておけば十分だと思います。
宝くじも、自分が本当にほしい枚数だけ買えばいいのではないでしょうか。
また、なにかの機会があれば、お返しに、ジュースを買ってあげればいいでしょう。
直接、コーラをくれた人に対して、恩を返す必要もないと思います。
なにか機会があれば誰でもいいから、親切にしてあげれば、いいのではないでしょうか。「恩を返す」というよりも、「善意」で、いろいろイイコトを世の中に対して、できる範囲でやっていくのがいいと思います。そうすれば、まわりまわって、コーラをくれた人にも、イイコトがあるでしょう。世の中、そういうものだと思いますよ。






【参考ページ】

「恩」とPTAの特性について、面白い見解をまるおさんが述べておられます。

≫≫ 「恩」をめぐって(その1)|まるおの雑記帳



「返報性」の実験について、より詳しくは以下の記事参照。

≫≫ 返報性

≫≫ 返報性の法則と互恵性(リプロイシィ)



サイレント・マジョリティ(静かなる多数派)

サイレント・マジョリティ(静かなる多数派)

インターエデュ・ドットコムの「PTA実は入退会自由 」スレッドを読んでいて、感じたことをまとめます。


「PTA活動になるべく関わりたくない。」
「役員・委員はやりたくない。なるべく避けたい。」
「なるべく軽くで済ませたい。」

PTA活動は、このように、やたらめったらイヤがられています。

PTA役員に立候補があがることなど、めったにありません。
PTA役員・委員を決める場でも、おもたーーい沈黙が1時間つづいたり、、、下手すると何時間もつづくのです。

「仕事が忙しくて…」
「家族が病気で…」
などなど、「できない理由」ばかり、意見として挙がります。
最終的に、くじ引きで決めるという方法がとられます。

「PTA活動、やったら意外と楽しかった」という人でさえ、ノルマ以上にやろうとする人は、ほとんどいません。
「好きでやってると言われたら腹が立つ」と、おっしゃるくらいです。

「PTAが必要」という人は半数以上いるはずですが、なぜ、こんなにも役員・委員が決まらないのでしょうか。なぜ、こんなにも、みんな、役員・委員をイヤがるのでしょうか。
「必要」と本気で思っているなら、ここまでイヤがらないはずです。たとえ自分一人でも、率先して、PTA活動をやるのではないですか?


「PTAが必要」というのは、「みんな、やってるから」「今までやってきたことだから」「今まであったものが、なくなると大変な気がするから」などの理由で【必要】だと言っているだけであり、本当に意義を理解して必要だと言っているわけではないように感じます。
もしくは、「必要な活動も少々あるけれど、ほとんどがムダなものばかりで負担が大きすぎる」と感じてらっしゃるのかもしれません。


「PTAが必要」という人は、PTAのない学校に転校したら、自分一人でも、PTAを一から立ち上げようとするでしょうか。そんな人はほとんどいないでしょう。
他の条件が同じで、「PTAのある学校」と「PTAのない学校」が選べるならば、「PTAのない学校」を選ぶ人が8割以上なのではないでしょうか。


結局、「PTAが必要」という人でさえも、口で言うほど、PTA活動を重要と感じてはいないのでしょう。


つまり、ごくごくごく一部の「PTA大好き!」という人をのぞいて、

みーんな、

「PTAの仕事は、やりたくない!!」



のです。

そして、



「ごく一部の活動をのぞき、意義を感じない!」


のです。

それが本音でしょう。


その本音を、本当はわかっているから、PTA側は「任意加入」であることを、明示したくないというわけです。


「善意の奉仕」の精神とは、まったく正反対。


いじめの温床・ドロドロした場になりやすいのも、うなずけます。


「蜘蛛の糸」の世界を連想してしまうような世界です。


おそらく、ほぼ全員が「PTAは不要」「PTAは必要な部分もあるが、大部分はムダ」という意見でしょう。

しかし、、、

●PTAの仕事は面倒。やりたくない。
●PTAを退会するのは、陰口言われたり、もっと面倒なことになりそう。
●PTAを改善していくのは、ものすごく大変だろう。
●完全にPTAの仕事を避けるのは難しい。
 だから、なるべく軽い仕事を、前向きに無難にこなすのが一番ラク。

このように考え、「静かな沈黙」を保つのです。


「静かなる多数派(サイレント・マジョリティ)」です。


PTAに対して意義も感じず、活動に関わるのもイヤという人が大多数ですが、静かなる沈黙を保つので、PTAは形骸化しながらも今日まで脈々と続いてきたのでしょう。

たまに、PTAに対して、意義や不満の声があがります。
それは「少数派」の意見として、軽視され、黙殺されます。
しかし、、、じつは、その意見は「多数派」なのではないでしょうか。


少数派(じつは多数派)の意見はスルー。


「蜘蛛の糸」のような世界。



ほぼ全員、「やりたくない」「(一部の仕事をのぞき)意義を感じない」と思っているのに、
周りの目を気にして、、、いい大人が、、、

やりたくもないことを、やっている。


とても、生き苦しい世界であるように感じます。


このような世界にいたら、自分のことをキライになったり、社会全体が信用できなくなったり、押し付けてくる人に恨みをいだいてしまいがちになるでしょう。


* わたしのこの感想を否定する方もいるでしょう。
「PTAは楽しい」「みんな必要といっている」という人もいるでしょう。
しかし、「役員・委員の仕事を、ほぼ全員がイヤがっている」というのは事実です。なぜそうなってしまっているか、考えてみてください。たんに、「ワガママな人が多くなったから」ですか?



日本人 VS キリスト教


≫≫ 日本人 VS キリスト教|精神世界の鉄人のブログ

スピリチュアル界では有名な「精神世界の鉄人」さんの記事の紹介です。
ものすごくいい記事だとおもいます。

「PTAには関係なさそう」って?

いえいえ、ものすごく関係あるとおもいますよ。
ちょっと読んでみてください。

「従順な人間をつくる方法」というのが、よくわかりますから!!

民俗学の岩竹美加子さんの「国家の装置としてのPTA 」という論文がありますが、そのような香りを感じます。


そうそう。サッカーやキリスト教自体を批判しているわけではありません。サッカーは楽しいスポーツですし、キリスト教も、教え自体は素晴らしいとおもいます。

ただ、どんなにイイモノでも、(イイモノだからこそ)、使いようによっては、人間を都合よく動かすための道具になってしまうのです。悲しいことですね・・・。



それにしても、
「やはり、日本人は素晴らしいなあ!!」
と感じました。

なんだかんだで日本人が大好きなんですよ!!

船井幸雄さんによると、
「虫の音や自然音を心地よく感じるのは日本人だけ。海外の方には、雑音に聞こえる。」
ということです。

あと、
道端で、財布をうっかり落としたときも、「落ちましたよ~」と走りながら知らせてくれるのは、日本人がダントツに多いようです。

技術力も素晴らしいとおもいます。


「ほんとは、日本人ってスゴイんだよ!!」

そんなことを、感じてほしいなとおもいました。


PTAは自己否定しているのかもしれない

PTAは自己否定しているのかもしれない

PTAは、自分で自分を否定しているように見えることが、よくあります。


本当に、自分たちの活動に意義があり、皆の賛同を得ているとおもうなら、、、

自信があるなら、、、

「入退会自由であることを隠す」なんてしないはずです。


活動に意義がないと自分で感じていたり、
皆の賛同を得られていないと自分で思うからこそ、、、

「入退会自由であることを隠す」なんていう、やましいことをしなければいけないのではないでしょうか。


なんとなくですが、

「PTAが必要! だから強制は当然!」
といっている人ほど、
自己否定しているような気がします。

本音は、自分でPTA活動を否定しているから、他人が「入退会自由」を言っただけで、過剰反応するのではないかな~~などと感じます。


自信があるなら、過剰反応しないと思います。



とまてさんのツブヤキから引用

自分の属している自動加入のPTAで、それゆえに困っている保護者が一人も無く殆どの保護者が活動に賛同してるという自信が在れば、規約に『入退会自由』と明記できる筈。この抵抗感は60年間問題を放置したツケなのかな(涙)。




日本人特有の4つの文化

経営コンサルタントの船井幸雄さんのHPで、
興味深いコメントをみつけました。



【加治将一さんからのコメント】

 「精神疾患の損失は年間11億円、先進国第一位。日本の自殺者3万人、ズバ抜けて多い比率です。日本人のウツ、自殺者の増加の一因には、日本人特有のものがあります。

1番は「恥の文化」
自分を取り繕い、ストレスを溜めます。

2番目は「縦社会の文化」
自由な発言がはばかられ、常にプレッシャーをあります。

3番目は「比較の文化」
自分の地位、ファッション、流行を気にし、仲間外れをとても恐れます。

4番目は「頑張れ文化」
落ち込んでいる人に「頑張れ」は禁句です。
本当に苦しんでいる人は「頑張れ」の一言で孤独に陥り、反発心さえ生まれます。




いかがでしょうか。


きわめて正確でわかりやすい描写だと思います。

PTAの問題をも、とても端的に示しているように感じます。


人を追い詰めやすい土壌があるようです。




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