PTAのホントのところ

PTAで調べたこと。PTAの基礎知識と問題点。入退会自由なのか?。非会員の子は行事参加できないのか?など

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PTAにも、いいところが、たくさんある!

PTAにも、いいところは、たくさんあります。

今の日本のPTAは問題が大きすぎるので、本来のいいところが、見えにくくなっているだけです。もしくは、ほとんどタテマエだけの存在になり、実態がともなわなくなっているだけです。
本当は、いいところが、たくさんあるのは、承知しています。(いいところがあるからといって、いいところだけアピールして、問題点・不満の声を隠したり軽視する傾向が強いのが、PTAの特徴。だから問題が肥大化し、反感を買うわけです。せっかくの、いいところを台無しにしてしまっているのです。)



まず、理念がとても素晴らしいですね。

「子供のための環境を整えることをしよう。」
「まず、大人の成長が大事。それが一番子供のためになる。」
「有志で善意のボランティア」

まったく、素晴らしい理念です。
この理念には大賛成です!!



あと、じっさいの活動で、いいこともあります。

● 学校についての理解が深まる。
● 学校・PTA活動に対して感謝できるようになることもある。
● 子供の教育環境について考える機会を得る。
● ボランティアについて考える機会を得る。
● 活動自体が楽しいこともある。
 (個人の適性や、一緒にやる人に大きく左右される。)
● 他の保護者との交流が深まる。
● 知人・友人ができる機会を得る。
● いままで付きあいがなかった人種と接する機会を得る。
 (異文化交流の場、視野が広がる)
● こどもの環境向上に役に立つこともある。


「一つの機会」としては、非常に有効ではありますね。

ただ、個人的な考えですが、これらのことは、PTA以外でもできるし、PTA以外で個々がやったほうが効率がいいんじゃないかと思っています。今のPTAはとんでもなく非効率な団体ですから。PTAのいいところは、「機会」の一つとして、有効であるというくらいです。


これらのイイコトはありますが、あまりにも効率が悪いのです。実感できる成果に対して、かかるコスト(労力・お金・時間)が大きすぎます。

たとえるなら、、、

100円の板チョコを買うのに、わざわざ、1000円ほど出しているかんじがするのです。PTA活動に向いてない人なら、1万円出しているような気分になるでしょう。


100円の板チョコは、100円だから、ほとんどの人が買うのです。1000円になったら、どれくらいの人が買うのでしょうね? 2割もいないんじゃないですか?
その1000円を、強制的に払わせているのが、いまのPTAのようにかんじます。





「ボランティアだから、効率を考えなくていい。効率を考えてたらやってられない。」
「ボランティアだから、ウソついてもいい。」

などの声も聞きますが、、
「ボランティアなのだから、お金や労力を効率よく使わなくてもいい。大事にしなくてもいい。」という考え方が、人々を追い詰めるのです。感謝が感じられません。PTAのイメージが悪くなることにつながっています。


おまけに、いまのPTAは任意ボランティアだということを隠して、実質、強制労働団体になっていますから、ボランティア団体だと軽々しく、名乗る資格はないのではないでしょうか。


まあ、、、
個人ではできない、お金では買えないような

すばらしい心に残るような感動

を、与えてくれるような活動をされているのなら、話は別ですけど。
よっぽどのカリスマ会長でも現れないかぎり、無理な話ですね。


【参考リンク】
≫≫  伝説のPTA会長




PTAには、いいところが、いっぱいあります。



それは、認めます。

それを活かせるような団体、認めてもらえるような団体になれたらいいですね。

せっかく、いいところがあるし、一生懸命やっているのに、イメージがすごく悪くて、認めてもらえないのは、とても悲しいことですから。



【参考リンク】
≫≫ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう

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伝説のPTA会長

わたしが初めて出会ったPTAは、それはそれは素晴らしいものでした!!

長女が幼稚園に入った年度のPTAの会長は、とてもカリスマ性にあふれた方でした。ちなみに男性です。



【伝説のPTA会長、Mさん】


とでも、ここでは、呼ぶことにします。


わたしや友人は「すごい面白い人だ」と思いましたが、もしかしたら、「変わっている」と敬遠してた人もいらっしゃるかもしれません。
その年度のPTA役員の方々はMさん以外も、とてもいい方ばかりでした。(私の目から見て、ですが)


Mさんは、

「楽しいものにしよう!」
「心に残るものにしよう!」
「それにはどうすればいいか、考えよう!」


そんなふうに、おっしゃっていました。



そして、事実、PTA主催の夏祭りや、運動会のPTA競技は、とても面白いものに、なっていました。


Mさん自身、率先して、盛り上げ役をやってらっしゃいました。

PTA競技では、女装までして、笑いをとってらっしゃいました。


運動会に来ていた義理の両親も、「この運動会は、めちゃめちゃ良かったなあ!!」と褒めちぎっていました。

それくらい、楽しい思い出深い行事になっていたのです。




PTA関係で有名な本、「レモンさんのPTA爆談」では、PTA会長レモンさんが、熱く、PTAの本来の在り方を問うように活動されていました。そして、じっさい、楽しいPTAであったようです。

M会長のPTA活動は、レモンさんのPTA活動に似ているかもしれません。

「こんなPTAなら、たしかに、あったほうがいいなあ。子供たちのためになるだろう。人生の在り方を考えるのに、おおいにプラスになるだろう。」

と、思わせてくれるPTAでした。


ちなみに、このMさんのときのPTAは、入退会自由は明示してません。「レモンさんのPTA爆談」でも入退会自由のことは触れてませんでしたし、レモンさん自身、当時、たぶんご存知なかったのではないかと思います。


それはやはり、たいへん、問題あるとは思うのです。

が、それを補ってなお、余りある何かがありましたね。



個人的な考えですが、
大人が子供にしてあげる一番のプレゼントは、


「楽しく一生懸命に生きている人生姿勢を見せること」

だと思っています。


それを、体現したPTAだと感じました。


PTAのいいところを挙げるなら、
このような、


「個人ではできない、お金でも買えないような心に残るイベントをすること」

「楽しく熱い人生姿勢を見せること」

を、一番に挙げたいのです。



学校だけでは、それは、難しいのです。



PTA元役員さんのご意見を聞きました

幼稚園PTAの元役員さんにお話を聞く機会がありました。PTAの仕事のスリム化に、とても尽力してくれた役員さんです。感謝。

その話の内容を、要点だけ、かいつまんでお知らせします。



質問
「役員になって良かった、意外と楽しかったという人が多いにもかかわらず、2年3年つづけて役員する人はほとんどいないのは、なぜ?」


「やはり、皆、生活があるし、大変だからだと思う。わたしの場合は、役員をやって楽しかったのではなくて、勉強になったという意味で良かった。1年やって、一通り勉強になったのだから、次は他のことをやりたい。資格などとりたい。」

「家にいたら、もんもんとして、鬱々として過ごしていたと思う。役員で色んな人と接して、プラスになったと思う。」



質問
「役員になって勉強になったというのは、具体的には?」


「一般会員のときには、わからなかったけれど、じつは、一つのことでもすごく苦労して、よく考えて、やってくれていたというのがよくわかった。だから、感謝の気持ちが芽生えた。感謝できるようになった。」

「次年度の役員の決め方についての話し合いでも、それぞれの意見がすごく白熱した。大変だった。」

「ここは先生の数が少ないし、先生だけでは、運動会は大変だと思う。劇団も呼べなくなるし…。保育園では、夏祭りも全部保育園側がやってくれていた。だから、夏祭りの小物も、手作りじゃなくて全部買ったものだった。保育園みたいに幼稚園側にお金があったらいいけど、公立はお金がないし、その分をPTAで補うしかないのでは…。」




個人的な感想。
●2年以上、役員する人がほとんどいないのは、やはりそれだけ大変だからということが、わかりました。

「感謝できるようになった」という言葉が印象的でした。
たしか、まついなつきさんの「まさかわたしがPTA?」という本でも、そのような変化をまついさんが示されていました。


●「PTAのいざこざが、いじめの原因になってるかも?」という発言もありました。いずれにしても、PTAがいじめの温床になってることはあっても、いじめの解決につながってることは、ほとんどないような気がしますね。PTAの存在価値って本当にいったいなんなのでしょう?



●「PTAがないと、運動会などがまわらなくなる」というご意見。
わたしとは「必要」のラインが大きく違うことがわかりました。
個人的には、「しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、休み時間に子供達が仲良く遊べればいい」と思っており、それ以上を望んでいません。そんな「必要最低限」のラインでいいのです。
運動会も、けやき小学校のように有志のボランティアをつのったり、縮小化して午前中におわってもいいのではないかと思うのです。
それ以上は、やりたい人がやればいいと思うのです。


岩竹美加子さん「国家の装置としてのPTA」 より

「私が学校に望んでいるのは、『安心して静かに学べる場』です。それすら危ぶまれているのに、町会とのつきあいのもちつきなどなくてもけっこうです。町ぐるみ運動会、バスハイクも歩こう会もラジオ体操も講演会もいりません。しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、休み時間に子供達が仲良く遊べればいいのではないでしょうか。なぜそれ以上母親が時間をけずってPTAの仕事をしなければならないのかわかりません」。


【参考リンク】
≫≫ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう


「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう

人によって、学校に求める活動レベルは様々です。

「必要最低限・本体(NEED)」と「ある方がいい・オプション(WANT)」に、明確に分けて考えることが大事です。

レベル0 必要最低限・本体(NEED) 
●しっかりとした授業(学校)
●休み時間に子供達が仲良く遊べる(学校)
●年1-2回の遠足(学校)
●「保護者懇談会(任意参加)」が年に数回。(学校)
●運動会やその他の行事は、特に必要はなし。(学校)
 やるにしても、最低限でいい。
 運動会なら、午前中で終わるくらいの規模でいい。
●防犯・安全管理活動も個々でできる範囲でいい。(個々)


レベル1 ある方がいい・オプション(WANT)
●より踏み込んだクラス懇談会
●防犯活動
●学校のお手伝い
(学校が時々にボランティア募集すればいい)
PTAのない学校 『けやき小学校』は、このレベル


レベル2 あると嬉しい・オプション(WANT)
●広報(PTA)
●夏祭り(PTA)
●お楽しみ会(PTA)
●運動会のPTA競技(PTA)
●給食試食会(PTA)
●勉強会(PTA)
●ベルマーク(PTA)
●保護者同士の親睦会・飲み会(PTA)
●その他いろいろ(PTA)


いかがでしょうか?

本当に、最低限必要なのは、レベル0の【本体】だけです。
レベル0の本体だけなら、PTAは要りません。
レベル1でも、PTAは要りません。
PTAのない学校 『けやき小学校』はレベル1ですが、PTAはありません。

レベル2の【オプション】まで要るという人だけ、PTAが要るのです。


産経新聞のアンケートでは、PTAは必要ではないと感じる保護者が42%、PTAが子供にプラスになっていないと感じる保護者が48%でした。
その他、いろいろと見聞きした情報から総合判断すると、、、

保護者の割合は、以下のようになります。

「レベル0だけでいい」… 4割
「レベル1まで要る」…… 3割
「レベル2まで要る」…… 3割

(個人的な予測による数字です。)


「必要(NEED)」なのはレベル0までです。
レベル1、レベル2は、「ほしい(WANT)」「あった方が望ましい」のレベルなのです。「必要(NEED)」ではありません。オプションなのです。

「レベル1まで要る」と考えている方々は、ご自分の考え方・好みにより、「レベル1まで要る」と考えてらっしゃるのです。
「レベル2まで要る」と考えている方も同様です。
本当に必要なのではなく、自分の考え方・好みで、「あった方がいい」と考えてらっしゃるだけです。


レベル1とレベル2は、オプション・好み・趣向・個々の考え方の世界なのです。


ランチで、「梅定食(600円)」でいいと考えている方もいれば、「竹定食(1500円)」がいいと考える人もいるし、「豪華松定食(8000円)」がいいと考える人がいるのと同じことです。


それを、理解していただければ、話は簡単なのです。

「レベル0だけでいい」と考える保護者は、PTA活動をやらなくてもいい。
「レベル1まで要る」と考える保護者は、その分だけPTA活動または工夫した活動をされればいい。
「レベル2まで要る」と考える保護者は、めいっぱい、PTA活動されればいい。

それだけのシンプルな話です。

「梅」でいいと考える人は、「梅定食」を食べればいいのです。
「竹」がいいと考える人は、もうちょっとお金を出して「竹定食」を食べればいいのです。
「松」がどうしても食べたい人は、ふんぱつして、「豪華松定食」を食べればいいでしょう。


それなのに、、、、、

問題が起こるのは、、、、


全員に、「レベル2」を強制しているからなのです。


せめて、「レベル1」までの強制なら、まだ、ラクなのに・・・。
PTAのない学校 『けやき小学校』は、とても、ラクそうです。



「梅(600円)」でいいと考えている人に対しても、無理やり、すっごく高い「松」定食(8000円)を強制したら、問題があるでしょう。
その分のお金を強制する人が出すのならいいですが、本人に「出せ」というのは、おかしな話です。

それと同じことです。

「レベル2まで要る」と考えている人は、自分の考えで「レベル2まで要る」というのではなく、「全員、レベル2まで絶対必要」と主張するから、軋轢ができるのです。

なぜか、「レベル1まで要る」と考える人は、「全員がレベル1まで要る。絶対必要と考えるべき」だと言います。

なぜか、「レベル2まで要る」と考える人は、「全員がレベル2まで要る。絶対必要と考えるべき」だと言います。

おかしな話です。

「必要」と言い張り、自分たちの趣向の世界、「オプション」の世界だということを、認めないのです。なんというか、「心が狭い(非寛容)」ように感じます。



「必要(NEED)」と「ほしい・オプション(WANT)」の区別を、つけてほしいのです。

それぞれが、「要る」と思うレベルがあることを、認識してほしいのです。そして、その認識レベルを。お互いに尊重すればいい話だと思います。



「PTAのサービス対象は、学校の全児童なんでしょ!?
 レベル2まで望む人は少数。
 少人数で、そんなに大変なこと、こども全員にできるわけないでしょう!! 大変すぎる!
 そもそも、やらない人は、ずるいじゃない!!」

という声が出てきそうです。

PTAは善意のボランティア団体ですので、適度に、スリム化して、やりたい人がやれるだけ、やればいいのです。無理する必要はありません。

どうしても、自分の子が、レベル2までのサービスをうけたいし、負担を大きくしたくないのなら、PTA以外でやればいいのです。
「こども会」などの形で、仲のいい価値観のあう人だけで、レベル2までの活動をすればいいのです。そうすれば、会員の子供だけに、恩恵を与えることができますので、負担も大きくはないはずです。不公平感もなくなります。
レベル2の活動がイヤな人に対して、負担を強制しなくてすみます。隠れた恨みを買わなくてすみます。
万事、解決です。
それすらイヤとおっしゃるなら、その程度の情熱だったということか、もしくは、やはり他人のお金と労力が目当てだということになります。



それぞれが、それぞれの価値観を認める。尊重しあうことが大事です。

ギスギスした場や、陰口の場が、こどもにいい影響を与えるとは、とうてい、思えませんので、、、。
心を広くして、ゆる~くいけば、いいんじゃないでしょうか。


岩竹美加子さん「国家の装置としてのPTA」 より

「私が学校に望んでいるのは、『安心して静かに学べる場』です。それすら危ぶまれているのに、町会とのつきあいのもちつきなどなくてもけっこうです。町ぐるみ運動会、バスハイクも歩こう会もラジオ体操も講演会もいりません。しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、休み時間に子供達が仲良く遊べればいいのではないでしょうか。なぜそれ以上母親が時間をけずってPTAの仕事をしなければならないのかわかりません」。


【参考ページ】
≫≫ PTAのない学校 『けやき小学校』の事例
学校側が、ときどきにボランティア募集をしています。
それで、うまくいっています。


≫≫ PTA必要論 VS PTA不要論

≫≫ PTAがなくても学校はやっていける

≫≫  PTAは必要なもの?(PTAについて深く考えてみた~~)

≫≫ 防犯・安全管理がPTAの大目的になっているようだ (PTAについて深く考えてみた~~)

≫≫ 『PTA再活用論』 不審者対策、どうしてますか?
≫≫ 『PTA再活用論』 防犯PTAはこのままでいいの?



「守るものがないと、人生はラクになります。」

             リヴィング・ウィズ・ジョイ より

ミンナ主義(同調圧力)の心理実験

どうやら、人間というものは、「ミンナやってるから」という言葉にとても弱いようです。日本人は特にそういう傾向があるといわれてますね。


「民主主義」ではなくて、「ミンナ主義」です。


PTAでも、「ミンナ」という言葉が多様されます。
「私が・・・」という主語を使うことが滅多にないんですよ。
「ミンナが」「誰かが」という主語を使うんですよ。
自分の意見に自信がないから、「ミンナ」という権威に頼りたいのでしょうか。

「そんなこと言ってるの、あなた一人だけですよ」というのも、強烈な殺し文句になるようです。

あまり、「ミンナ」という言葉を多用すると、個人(自分を含む)の自発性や自主性、自尊心を殺いでしまう危険性があります。教育上、非常によろしくないです。



さてさて、そんな「ミンナ主義」の心理を証明する面白い実験があるのです。

心理学者アッシュが集団心理の実験です。
とても有名な実験ですから、「アッシュ 実験」で検索すると、いろいろヒットします。

以下の記事がとくにわかりやすいので、引用させていただきます。
≫≫ アッシュの実験:同調しちゃう
(全文、とても面白いので、ぜひリンク先を読むことをオススメします。)
より抜粋

(A)----------------------------

 「(A)と同じ長さなのは次のうちのどれか?」という問題。

 (1)------------------------
 (2)----------------------------
 (3)--------------------------

 正解は(2)である。
 しかし、7人の回答者がいて、そのうちの6人が全員一致で別の答を述べた後、最後に応えた被験者は(2)ではなく、他の6人(実はサクラ)と同じ答を選びやすくなるというものである。

 「心理おもしろ実験ノート」(渋谷昌三著、三笠書房「知的生きかた文庫」)101ページ「5 なぜ多数派の意見に同調してしまうのか?」によると、123人の被験者のうち自分の判断を守り通したのは29人(24%、4人に1人)だそうだ。4人のうち3人は自分の判断を曲げても間違った他人の意見に同調してしまうのだそうだ。

 この「罠」は7人全員の答が一致した実験を2度行った後の3度目の実験だそうだ。最初の2つの実験が行われなかったらどうなるか分からない。もしかしたら自分の判断を曲げない人がもっと多かったかもしれない。
(中略)

「心理おもしろ実験ノート」にはアッシュの実験の解釈として次のように書いてある。

 なぜすべての被験者に同調が見られなかったのかというと、被験者の中には、他人の意見や他人からの承認というものをまったく気にしないで、自分の能力や価値観に自信をもっている人もいたためです。とすれば逆に、多数派の意見に従った多くの人には、自信を欠き、自尊心が乏しく、集団の圧力に屈しやすいという特徴が当てはまることになります。



いかがでしょうか。
とても面白い実験だと思います。

また、「ミンナ主義」に従う人は、自信を欠き、自尊心が乏しいという見解も、よくわかります。


「ミンナ主義」から脱するためには、一人一人が、自尊心や自分の価値観への自信を養うことが大事ということでしょう。
それが個人的な幸せにもつながると思いますし、一石二鳥ではないでしょうか。

【自尊心】は、「幸せ」の一番大事な要素であると感じますし、教育においても、ものすごく大事なキーワードです。


自分のあるがままの価値を認めて、他人のあるがままの価値も認めて、お互いに、自尊心を高めあっていけたらステキですね。

「自分に優しく、人に優しく」です。


≫≫ 面白い心理学実験の実例を教えて下さい。
(この記事もとても面白いので、ぜひリンク先も読んでみてください。)
より抜粋

「アッシュの同調実験は、学校の現場でいじめが起きたトキにそれが見て見ぬ振りをされがちであるコトを抽象化して示したと言えます。ですが一貫してそれを告発する人が一人でもいれば、見て見ぬ振りがなくなる糸口となる可能性がある、ということかもしれません。」


「いじめ」はPTAでも学校にでも、よくある問題です。
だから、ますますこのような知識が「自立力」につながるのですね。


≫≫ 日常生活や社会問題に貢献する実験心理学研究について
この記事も、とても参考になります。

いろいろと考えさせられるアッシュの実験でした。


「恩」の心理実験

PTAでは「恩」の概念が、よく出てきます。

「学校にお世話になってるのだから…」
「PTAの恩恵を受けておいて、お返ししないのはズルイ」
そんな言葉が、PTAにはたくさん出てきます。

どうやら今の日本のPTAは「無条件の愛・無償の善意の奉仕」で成り立っているのではないようですね。


「恩は返さなくてはならない」という心理が人間にはあるようです。それを「返報性」と呼びます。

そんな「返報性」の実験で、有名なものをご紹介いたします。


--------
とある待合室に、二名の男性(AさんとBさん)がいました。
知り合いでもなんでもありません。

Aさんが、コーラを買いに行きました。

Bさんの分まで、コーラを買い、「どうぞ」と何気なく渡しました。

Bさんは、じつは、コーラはそれほど好きではありませんでした。
頼んでもいないのに、Aさんが勝手に買ってきたのです。


それでも、Bさんは「ありがとう」と受け取り、二人でコーラを飲みました。


その後、ころあいを見計らって、Aさんは、Bさんに「宝くじを何枚か買わない?」と持ちかけました。


BさんはAさんにコーラをおごってくれたという「恩」を感じていたので、ついつい、4枚も宝くじを買ってしまいました。

-----------------

心理実験なので、
「自分の分だけコーラを買ってくる」
「相手の分までコーラを買ってくる」
の両方のパターンを、何回もテストしています。
(もちろん、人は変えます。)

「自分の分だけコーラを買ってくる」
よりも
「相手の分までコーラを買ってくる」
ほうが、
買ってくれる宝くじの枚数は、平均して、2倍になったそうです。


2倍ですよ!!


Bさんはコーラがそれほど好きでもないかもしれないのに。
頼んでもいないのに。
自分で飲み物を選んだほうが、ずっと美味しく飲めただろうに。
宝くじは、コーラよりずっと高いのに。



それだけ、「恩は返さなければならない」という概念が、一般的に強いことを物語っているのでしょう。



ちなみに、企業がよく試供品(サンプル)を配るのは、この「恩は返さなければならない(返報性)」の概念も計算に入れてのことらしいです。

PTAは、、、どうなんでしょうね。計算にいれてるのでしょうか。
「学校やPTAにお世話になってるんだから・・・」の発言が多いので、やはり、なんとなく計算されているような気がします。


個人的な意見ですが、、、
恩を感じるのはいいことですが、無理してまでは返さなくていいと思います。
また、恩を与えた側が「恩を与えたのだから、返すのが当然」と圧力をかけることは、ものすごく信用を失う行為だと思います。

コーラをおごってもらったら、好意として、素直に受け、感謝しておけば十分だと思います。
宝くじも、自分が本当にほしい枚数だけ買えばいいのではないでしょうか。
また、なにかの機会があれば、お返しに、ジュースを買ってあげればいいでしょう。
直接、コーラをくれた人に対して、恩を返す必要もないと思います。
なにか機会があれば誰でもいいから、親切にしてあげれば、いいのではないでしょうか。「恩を返す」というよりも、「善意」で、いろいろイイコトを世の中に対して、できる範囲でやっていくのがいいと思います。そうすれば、まわりまわって、コーラをくれた人にも、イイコトがあるでしょう。世の中、そういうものだと思いますよ。






【参考ページ】

「恩」とPTAの特性について、面白い見解をまるおさんが述べておられます。

≫≫ 「恩」をめぐって(その1)|まるおの雑記帳



「返報性」の実験について、より詳しくは以下の記事参照。

≫≫ 返報性

≫≫ 返報性の法則と互恵性(リプロイシィ)



PTA動画・おもしろ記事リンク集

≫≫ YouTube - 「PTA」不人気 仕事多すぎ押し付け合い

6分間の動画。
PTAの大変さが、とてもわかりやすく描かれています。やっぱり動画は説得力がちがいますね。

ほんとに、会議会議ばっかりなのですね・・・。

最後のほうにでてきた、「一人、年一回の仕事」というのは、たしかにラクそう。
でも、任意加入がやっぱり前提だと思いますけど。


≫≫ こんなPTAは嫌だ - 2ちゃん嫁。

猫紫紺さんのとこで発見。大爆笑でした(笑)。



≫≫ 【初音ミク】くたばれPTA【オリジナル曲】‐ニコニコ動画

こども視点からの歌。






≫≫ 橋下知事がPTA批判 「解体する」 - 47NEWS(よんななニュース)

こんな記事もあったのね・・・。


≫≫ YouTube - 橋下知事「PTAの方々 すいません、PTAの皆さんに問いたい」



※ PTAリンク集カテゴリを、全体的に、大幅に書き足しましたので、またご覧ください。

PTAがないと学校がまわらないのでは?

PTAがないと学校がまわらないのでは?

これも、とってもよく聞かれる質問です。

PTAがなくても、学校は、ちゃんとまわります。

PTAの無い学校も、ちゃんと運営されています。
○ PTAのない学校 『けやき小学校』の事例



ちなみに、私は第二次ベビーブームのときに生まれました。この年代は生徒数がとっても多く、学校側は大変だったとおもいますが、それでも、ちゃんと運動会も他の一般的な行事も、ちゃんとしてました。

ちなみに、わたしの子供のころ、運動会にはPTA競技はありませんでした。まわりの人にも聞きましたが、子供のころ、PTA競技があるところは、ほとんどないようでした。

運動会に限らず、むかしは、PTA活動はずっと少なかったようです。(うちの父はPTA会長経験があります。)


とても生徒数が多い時代で、PTA活動がずっと少なくても、学校はちゃんと運営されていました。



ですから、別にPTAがなくても、学校は運営されます。


どうしても手が足りないときは、その都度、ボランティアを学校側がつのればいいのです。PTAのない学校は、それでうまくやっていけてるようです。



個人的には、どうしてもできない分はスリム化すればいいと思っています。運動会も、午前中でおわるくらいのボリュームでもいいと考えています。

PTAがいまの形で存続し、「ダマしたり脅したりするようなやり方&強制労働」という形をとっていくよりかは、各行事をスリム化するほうが、子供の教育上いいと思います。



本当に、どうしてもPTAの手がないと、学校がまわらないとするなら、それはそれで、やはりおかしいのです。
その場合は、本当に必要な人手が足りてないのですから、学校やPTAが行政・教育委員会などにかけあい、人員増をしてもらうというのが筋でしょう。それもせずに、安易にPTAに必要な人手を押し付けるのは、おかしいのです。そのようなことをしていたら、PTAが善意のボランティア団体から離れてしまうに決まっています。学校が、ボランティア団体というサブ的な存在に、「必要」なことを頼るということが、そもそも、おかしいのです。PTAはボランティア団体なのですから、あくまで「サブ」な存在と、学校側がまず認識してほしいものです。「いつでもどこでも労力が捻出できる、便利なアイテム」と思われては困るのです。




元校長先生のブログ、
教育の窓・ある退職校長の想い:PTAと学校(11) PTAの未来像は、
から抜粋

PTAがなくても、学校は動く。

(中略)

 『自由にすれば、人は活動しない。』

 そう思っていた。

 わたしは、基本的に、人間というものが分かっていなかった。人間、やりたいことには、ものすごい情熱を発揮するのだね。

 わたしは、『人への信頼』という、教職にあるものにとっては不可欠な人間観なるものを学ばせていただいた。


【参考ページ】
≫≫ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう


サイレント・マジョリティ(静かなる多数派)

サイレント・マジョリティ(静かなる多数派)

インターエデュ・ドットコムの「PTA実は入退会自由 」スレッドを読んでいて、感じたことをまとめます。


「PTA活動になるべく関わりたくない。」
「役員・委員はやりたくない。なるべく避けたい。」
「なるべく軽くで済ませたい。」

PTA活動は、このように、やたらめったらイヤがられています。

PTA役員に立候補があがることなど、めったにありません。
PTA役員・委員を決める場でも、おもたーーい沈黙が1時間つづいたり、、、下手すると何時間もつづくのです。

「仕事が忙しくて…」
「家族が病気で…」
などなど、「できない理由」ばかり、意見として挙がります。
最終的に、くじ引きで決めるという方法がとられます。

「PTA活動、やったら意外と楽しかった」という人でさえ、ノルマ以上にやろうとする人は、ほとんどいません。
「好きでやってると言われたら腹が立つ」と、おっしゃるくらいです。

「PTAが必要」という人は半数以上いるはずですが、なぜ、こんなにも役員・委員が決まらないのでしょうか。なぜ、こんなにも、みんな、役員・委員をイヤがるのでしょうか。
「必要」と本気で思っているなら、ここまでイヤがらないはずです。たとえ自分一人でも、率先して、PTA活動をやるのではないですか?


「PTAが必要」というのは、「みんな、やってるから」「今までやってきたことだから」「今まであったものが、なくなると大変な気がするから」などの理由で【必要】だと言っているだけであり、本当に意義を理解して必要だと言っているわけではないように感じます。
もしくは、「必要な活動も少々あるけれど、ほとんどがムダなものばかりで負担が大きすぎる」と感じてらっしゃるのかもしれません。


「PTAが必要」という人は、PTAのない学校に転校したら、自分一人でも、PTAを一から立ち上げようとするでしょうか。そんな人はほとんどいないでしょう。
他の条件が同じで、「PTAのある学校」と「PTAのない学校」が選べるならば、「PTAのない学校」を選ぶ人が8割以上なのではないでしょうか。


結局、「PTAが必要」という人でさえも、口で言うほど、PTA活動を重要と感じてはいないのでしょう。


つまり、ごくごくごく一部の「PTA大好き!」という人をのぞいて、

みーんな、

「PTAの仕事は、やりたくない!!」



のです。

そして、



「ごく一部の活動をのぞき、意義を感じない!」


のです。

それが本音でしょう。


その本音を、本当はわかっているから、PTA側は「任意加入」であることを、明示したくないというわけです。


「善意の奉仕」の精神とは、まったく正反対。


いじめの温床・ドロドロした場になりやすいのも、うなずけます。


「蜘蛛の糸」の世界を連想してしまうような世界です。


おそらく、ほぼ全員が「PTAは不要」「PTAは必要な部分もあるが、大部分はムダ」という意見でしょう。

しかし、、、

●PTAの仕事は面倒。やりたくない。
●PTAを退会するのは、陰口言われたり、もっと面倒なことになりそう。
●PTAを改善していくのは、ものすごく大変だろう。
●完全にPTAの仕事を避けるのは難しい。
 だから、なるべく軽い仕事を、前向きに無難にこなすのが一番ラク。

このように考え、「静かな沈黙」を保つのです。


「静かなる多数派(サイレント・マジョリティ)」です。


PTAに対して意義も感じず、活動に関わるのもイヤという人が大多数ですが、静かなる沈黙を保つので、PTAは形骸化しながらも今日まで脈々と続いてきたのでしょう。

たまに、PTAに対して、意義や不満の声があがります。
それは「少数派」の意見として、軽視され、黙殺されます。
しかし、、、じつは、その意見は「多数派」なのではないでしょうか。


少数派(じつは多数派)の意見はスルー。


「蜘蛛の糸」のような世界。



ほぼ全員、「やりたくない」「(一部の仕事をのぞき)意義を感じない」と思っているのに、
周りの目を気にして、、、いい大人が、、、

やりたくもないことを、やっている。


とても、生き苦しい世界であるように感じます。


このような世界にいたら、自分のことをキライになったり、社会全体が信用できなくなったり、押し付けてくる人に恨みをいだいてしまいがちになるでしょう。


* わたしのこの感想を否定する方もいるでしょう。
「PTAは楽しい」「みんな必要といっている」という人もいるでしょう。
しかし、「役員・委員の仕事を、ほぼ全員がイヤがっている」というのは事実です。なぜそうなってしまっているか、考えてみてください。たんに、「ワガママな人が多くなったから」ですか?



親の幸せは、子供の幸せに直結する

親の幸せは、子供の幸せに直結する


≫≫ 子供は親の「生き方・在り方」をマネするもの

で、書きましたとおり、

子供は親の「生き方・在り方」をマネするものです。



ですから、

親の幸せ・不幸は、子供の幸せ・不幸にそのまま直結すると感じています。

親が幸せだと、子供は幸せになります。

親が不幸だと、子供は不幸になります。


もちろん、個人差や例外はありますが、たいてい、実際に直結しているように見えます。



「子供の幸せ」を願うなら、
まず、「親自身が幸せになる」ことが、ものすごく大事なことです。

子供は親の人生姿勢をマネするものだからです。

親が幸せでニコニコしていれば、子供も自然と明るい気持ちになります。

親が幸せであれば、子供も安心して「幸せになっていいんだ。幸せになれるものなんだ。」と思うでしょう。
親の在り方が、いい手本となり、子供も「幸せ」になる方法を自然に会得しやすくなります。

それに、子供はいずれ大人になります。親になります。

親にとって幸せな環境は、いずれ大人になる子供にとって、希望のもてる環境ということでしょう。
子供が、社会全体に対して「信頼」を持ちやすくなります。
このような社会に対する「基本的信頼」を持っている子のほうが、ねばり強く、行動力もあるようです。


反対に、親が不幸なら、どうでしょうか?

親が不幸で、子供だけ幸せなんて状況があるとはとても思えません。
親が不幸なら、子供は親のことが心配になるのが普通でしょう。
親が病気になったら、その影響を一番受けるのは、子供でしょう。
親がイライラしていたら、イライラをぶつけられるのは、たいてい、子供です。
親が陰口や文句を言ったりしているような状況は、子供に「いじめ」をしてもいいと思わせる悪影響を与えるでしょう。

親が不幸になるような状況は、子供が大人になっても不幸になる可能性が高い状況です。そんな状況は、子供は大人になるのがイヤになるでしょう。

PTAで、子供の頃うけた「恩」を、大人になって返さなければいけないような状況に追い込むのも、なにか負のスパイラルを感じさせます。


「親が好き勝手なことをして、子供を放っているケースがあるじゃないか。親が幸せなら、それでいいのか。」
というご意見もあるでしょう。

○親が好きなことをしたり、幸せになろうとすると、子供のことがおそろかになり、子供が不幸になる。
○親が犠牲になってでも、とにかくガンバルことが、子供の幸せにつながる。それが理想的な親の在り方だ。(いまの和風PTAの考え方は、たぶんコレですね。)


というご意見も多いのです。私の意見と正反対です。


どうやら、「幸せになる」というのは自分勝手なふるまいをするという概念を持ってらっしゃるのではないでしょうか。または、そんなことをする時間とお金は無いという観念も、どこかあるように思います。(趣味や好きなことが無いという人が多いのはこのような理由かも。)
「幸せになる」≒「悪いこと」
と、心のどこかで思ってらっしゃるようにみえます。

「幸せ」というものは、別に自分勝手なことをするというものではなく、自尊心を持ち、自分の在り方を肯定することができたり、心に余裕があったり、家族や身近な人と強い信頼関係(絆)があったり、日常のなにげないことに感謝できたり、生活とバランスよく、自分の愛すること関心あることができたりすることを指すのだとおもいます。幸せであるためには、「足るを知る」ということも大事だと思っています。周りに迷惑をかけるような在り方は、「幸せ」どころか、とてもストレスを生むやり方だと感じています。
幸せは、大それたものの中にあるのではなく、日常のなにげないところにあると確信しています。

「パチンコに熱中していて車中の赤ちゃんを熱中症で死なせてしまった」というニュースを、しばしば聞きます。
これは極端な例ですが、パチンコに熱中している親御さんは、幸せなのでしょうか?
本当に幸せならば、そのようにパチンコに熱中されないと思います。むしろ、かなりストレスがあるために、パチンコに熱中せざるを得なかったのではないでしょうか。
マスコミが流す「流行」「成功」などに踊らされ、「イメージとして植えつけられた幸せ」を追いかけると、心に余裕がなくなります。


本当の意味で、親御さんが幸せなら、ある程度、心に余裕があるはずです。不幸だからこそ、心に余裕がなくなるのです。親御さんが幸せなら、子供が不幸になるような事態にはならないでしょう。むしろ、不幸な人のほうが、心に余裕がなく、子供を放っておいたりするのではないでしょうか。
(PTAでも子供を放って飲み会や会議に出なければいけなかったという話を、ときどき聞きます。あと、乳児をつれて、会議に出なければいけなかったという話も。PTAも、子供をほったらかしケースをときどき聞くのです。)

親が一生懸命働いて、生活費や学費を稼ぐことは非常に尊いことです。親自身が、それを楽しむことができていたり、「与えることができるのは素晴らしいこと」「ありがたい」と思えるなら、いいのですが、、、「自分が犠牲になっている」という考えをもっていると、問題が出てくるようです。子供に対して、「私が自分を犠牲にしてまで、こんなに一生懸命苦労して育ててやってる」というニュアンスのセリフを、子供に頻繁に言うようになるのです。あと、子供が自分の思ったとおりに行動しなかったら、すごく腹を立てる傾向があります。子供を自分の思い通りにしたがるのです。

自分が犠牲になっていると思っていると、とにかく「恩」を売りたがる傾向がありますね。(PTAも似たようなところあるのでは?)
これではやはり、子供が幸せから遠ざかってしまうのではないでしょうか。

ここで、日本一企業顧問数の多い心理カウンセラーとして有名な衛藤信之さんの言葉を紹介したいと思います。

「心時代の夜明け」 衛藤信之 より抜粋

「おまえを育てるのに苦労したんだよ」
「お前がいたから離婚したかったけど、離婚しなかったのに」
このようなメッセージを交流分析では「魔女の呪い」と呼んでいます。じわじわと子供を縛り上げ、自由を奪うのです。呪いにも似たメッセージを伝えることで子供は「自分は他人の不幸のうえで生きている」「自分が親の人生をだいなしにした」と自分自身の人生を悲観的に考えてしまいます。松蔭の親のように「育てるのは楽しかった」とか「育てる中で、いっぱいお前から愛をもらったよ。だから十分返してもらってるんだよ」と言ってもらったら、子供が神様とともに生きるくらいの勇気をもらえるのです。
そういうメッセージをいっぱいもらって大人になると、社会のつらい現実にふれても決して自殺はしないでしょう。なぜなら「自分は価値のある存在である」「決して自分は誰に対しても邪魔な存在ではない」という自覚を持てているからです。これを発達心理学者のE・エリクソンは「ベーシック・トラスト(基本的信頼)」と呼びました。この社会や周囲に対する絶対的な安心感が、ノイローゼにならないためにもっとも大切なものだと彼は言っています。



さてさて。

すこし、質問があります。

★料理を教えてもらうのは、「料理の上手な人」と「料理の下手な人」のどちらがいいですか?

★勉強の効率的ないい方法を教えてもらうのは、「成績のいい人」と「成績の悪い人」とどちらがいいと思いますか?

★お金を貯めるいい方法を教えてもらうのは、「お金持ちの人」と「貧乏な人」とどちらがいいと思いますか?

★異性にもてる秘訣は、「モテる人」と「モテない人」のどちらと一緒にいる方が、得やすいと思いますか?

★幸せになる方法やコツは、「幸せな人」と「不幸な人」のどちらと一緒にいる方が、わかりやすいと思いますか?

よく考えて、答えてみてください。



これらの観点から、やはり、、

「子供の幸せ」のためには、
まず、「親自身が幸せになること」が、とても大事だと思うのです。


「きっと、よくなる!」 本田健 サンマーク出版 より抜粋

親ができる最高のことは、お金を残したり、教育を授けたり、しつけをすることではないと思います。
親が大好きなことをやって、幸せに生きている姿を見せること、それこそが子供にとって、一番すばらしい贈り物ではないかなと思うのです。

親が心ゆくまで人生を楽しんでいたら、「大人の人生って楽しそうだな、早く大人になりたいな」と自然に思うでしょう。


「きっと、よくなる!2」 本田健 サンマーク出版 より抜粋

「我慢して、自分を殺して生きる」という生き方を否定するつもりはありません。でも私の場合、我慢してうまくいったことはあまりなかったように思います。我慢して何かをやると、自分が嫌いになったり、その環境がイヤになったり、我慢をさせている相手に恨みの感情をもってしまいがちです。
たしかに我慢することで、忍耐強さという大切な特質を育ててくれるという効果もあるでしょう。しかしそれよりも、自分を痛めつける可能性が大きいことのほうを認識しておきたいものです。
小学生のころから「我慢」と「がんばる」ことを強いられた結果、何が欲しいのかわからない人たちが大量生産されています。我慢のしすぎは、身体にも心にもよくないと私は思います。
今度、石の上に乗っているような感じがしたら、それを冷静に見てください。それが自分のベストだと感じるのなら、もうしばらく我慢してやってみてください。でも、少しでも違和感があったら、思い切って飛び降りることです。
必要のない我慢は、勇気をもってやめましょう。


日本人 VS キリスト教


≫≫ 日本人 VS キリスト教|精神世界の鉄人のブログ

スピリチュアル界では有名な「精神世界の鉄人」さんの記事の紹介です。
ものすごくいい記事だとおもいます。

「PTAには関係なさそう」って?

いえいえ、ものすごく関係あるとおもいますよ。
ちょっと読んでみてください。

「従順な人間をつくる方法」というのが、よくわかりますから!!

民俗学の岩竹美加子さんの「国家の装置としてのPTA 」という論文がありますが、そのような香りを感じます。


そうそう。サッカーやキリスト教自体を批判しているわけではありません。サッカーは楽しいスポーツですし、キリスト教も、教え自体は素晴らしいとおもいます。

ただ、どんなにイイモノでも、(イイモノだからこそ)、使いようによっては、人間を都合よく動かすための道具になってしまうのです。悲しいことですね・・・。



それにしても、
「やはり、日本人は素晴らしいなあ!!」
と感じました。

なんだかんだで日本人が大好きなんですよ!!

船井幸雄さんによると、
「虫の音や自然音を心地よく感じるのは日本人だけ。海外の方には、雑音に聞こえる。」
ということです。

あと、
道端で、財布をうっかり落としたときも、「落ちましたよ~」と走りながら知らせてくれるのは、日本人がダントツに多いようです。

技術力も素晴らしいとおもいます。


「ほんとは、日本人ってスゴイんだよ!!」

そんなことを、感じてほしいなとおもいました。


PTAを否定しているわけではありません。

PTAを否定しているわけではありません。


誤解のないよう、あらためて書かせていただきます。

わたしはPTAそのものや、PTA活動を一生懸命している人を否定しているわけではありません。

善意で自主的にやってらっしゃる分には、PTAはとてもいいものだと思います。一生懸命がんばってらっしゃる方も、すばらしいと思います。

ただ、
いま、PTAは重大な問題を抱えている。
と、言っているだけです。

「大事なことを隠して、PTAに合わない人まで強制的に加入させているという問題がある。負担が重過ぎるという問題がある。その部分をなおして、より人にやさしいPTAになってほしい。」
ということです。


たとえば、Aさんという人がいるとしましょう。

Aさんはすごくイイ人。やさしくて親切。
だけど、ついつい食べすぎて太っているのが欠点。

Aさんに
「食べすぎは健康に良くないよ。」
というのは、Aさんの問題を指摘しているだけです。
Aさんそのものは否定していません。
あくまで、「食べすぎ」が問題なのであって、
Aさんが、優しくて、親切であるということを否定してはいないのです。
Aさんの趣味や仕事、人格を否定するものではありません。


ですから、PTAの問題を指摘しているだけで、PTAそのものやPTA活動を一生懸命されている方を否定してはいません。

たしかに、批判していると受け取れる部分もあります。
しかし、それは、「●●だから必要! だから、全員、やる義務がある!!」という理論で、強制してくる方が多いからです。そういうふうに強制しようという理論でかかってこられるから、こちらは「PTAは別に必要じゃないよ。△△という理由があるよ。」と説明することになってしまうのです。批判するつもりはありませんが、批判めいてしまっていることは認めます。しかし、それは、批判したいわけではなく、強制が当然のものではなく、問題点であることを説明するためなのです。


ご理解いただけると、大変ありがたいです。

どうか、よろしくお願いいたします。



PTAは自己否定しているのかもしれない

PTAは自己否定しているのかもしれない

PTAは、自分で自分を否定しているように見えることが、よくあります。


本当に、自分たちの活動に意義があり、皆の賛同を得ているとおもうなら、、、

自信があるなら、、、

「入退会自由であることを隠す」なんてしないはずです。


活動に意義がないと自分で感じていたり、
皆の賛同を得られていないと自分で思うからこそ、、、

「入退会自由であることを隠す」なんていう、やましいことをしなければいけないのではないでしょうか。


なんとなくですが、

「PTAが必要! だから強制は当然!」
といっている人ほど、
自己否定しているような気がします。

本音は、自分でPTA活動を否定しているから、他人が「入退会自由」を言っただけで、過剰反応するのではないかな~~などと感じます。


自信があるなら、過剰反応しないと思います。



とまてさんのツブヤキから引用

自分の属している自動加入のPTAで、それゆえに困っている保護者が一人も無く殆どの保護者が活動に賛同してるという自信が在れば、規約に『入退会自由』と明記できる筈。この抵抗感は60年間問題を放置したツケなのかな(涙)。






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