PTAのホントのところ

PTAで調べたこと。PTAの基礎知識と問題点。入退会自由なのか?。非会員の子は行事参加できないのか?など

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■「子供がヒドい目にあう」と思わせてしまっている(信頼の欠如)

やはりPTAの問題で、一番の問題は、
「子供がヒドい目にあう」
と、多くの保護者が恐れていることです。




そして、
PTA側がその状況を放置、
つまり「見てみないふり」をしていたり、


「学校にお世話になっているのだから」

「やってアタリマエ」

「仕事で大変な人もみんなやっている」


という言葉を使うこと、


あるいは高圧的な態度でもって、

その恐れを助長していることです。



「PTAに異を唱えたり、PTAの役を断ったりすると、
 『やってアタリマエのことから
  逃げようとする、とんでもない人間』
 と見なされ、
 ひいては、子供が虐められたり
 仲間はずれにされるのではないか?
 学校の内申も意図的に下げられるのではないか?」



そんなふうに不安がっている人が、
少なくないようです。


つまり、PTA自体や、周りのPTA会員に対して、
信用することができないということでもあります。





「こどもを人質にとられている」


という表現であらわされることが多い現象です。


実生活でもネット上でも、
いろんな人の意見を聞いていますが、
そのようなことを恐れている保護者の方は、少なくないと感じています。


一部の保護者に対してだけかもしれませんが
また、意図的にではないかもしれませんが、

結果として、

PTAは、保護者に、

ものすごく大きな精神的ストレス
与えているようです。

本当に、それは、わかっていただきたい!!



じっさい、川端裕人さんによりますと、
PTAで心身を病んでいる人は多いそうです。


 3番目のメリットは、PTA社会をまったく体験したことのない人にとっては、笑い話かもしれない。でも、実際にPTA活動で心身を病み、通院するような人はいくらでもいる。この連載への投書にもあったけれど、ぼくの身の回りでも起こっている。本当に笑えない話なのだ。都下のあるPTA会長はこういった問題を公にした時、「人権問題」という言葉を使った。


「PTA再活用論」より抜粋。


2chやYahoo知恵袋などの意見を見ていても、
そのことで悩んでいる方は多いです。
本当に、心身を病んで通院している方もいらっしゃいます。
なかには、病気を隠してPTAをがんばったため、お亡くなりになったという話も聞きます。




≫ リヴァイアさん、日々のわざ: PTAは、会員ががんで闘病中でもそれを「検出」できない。そして、役は公平に与えられる
  http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2011/04/post_640a.html


≫ PTAよ成仏してくれ!|まるおの雑記帳
  http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-10170545789.html
 奥様がPTAのために不登校になってしまわれたとのこと。


≫ PTAは、社会参加の第一歩、かもしれないけれど - 草履で歩きながら考える
  http://blog.goo.ne.jp/yamyam00/e/b5360b3c7ddd189ed4cbcce5ac30211b
 「病気を隠してPTA活動を続け、亡くなってしまった方がいる」とのこと。





じっさい、
4月の役決めの様子などを見ていても、そのようなことを感じています。



PTAの役決めのとき、
・ほとんどの人が沈黙しつづける
(時には何時間にも及ぶ)
・沈黙に耐え切れなかった人が挙手する
・押し付け合い合戦に発展する
・最終的にはクジ引きになってしまう

などから、
みんな、本当に役に当たりたくないということが、わかります。

事情を聞くだけで、本当に切実な状況の人もいます。

シングルマザーで大変なことや
仕事・介護が忙しいことは免除の理由にならないPTAが多く、本当に理不尽な状況です。

子育て世代など、いちばん時間的経済的に余裕のない、大変な時期であることは、わかりきってる話ではないですか? みんな、大変なのです!!

それでも、みんな、唯々諾々と従っているのは、かなり強烈な圧力が働いているからにほかなりません。それ以外には考えにくいでしょう。

(皆が、本当に「学校にお世話になってるから」と感じてPTAに所属しているなら、ほとんどの人が率先して役をしたり、改善案を出したりするはずだとは思いませんか?)




その「なにか強烈な圧力」の一つが、


「こどもがひどい目にあわせられるかも」



という恐怖だと感じています。


(あと一つが、同調圧力。)



「自分だけではなく、
 子供がヒドイ目にあうかもしれない。」


「自分だけではなく、
 子供がヒドイ目にあうかもしれない。」

そのような可能性が少しでもあることは、
親であるなら、誰でも、ひどく恐れることです





ですから、

いくら仕事が忙しかろうと、
休めるような状況でなかろうと、
介護などで精神がボロボロでも、
理不尽なくらい大変な役を押し付けられても、

PTAの役を断ったり、
脱退希望したり、
異議を唱えたりできないような
状況システムが形成されてしまっているのです。


結果的にかもしれませんが、

PTAは、
その弱みにつけこんでいるような状況になっています。




病気であることを隠してでも、
役を引き受けるような人がいるのは、
そのためだと考えられます。
(一般の健全なボランティアで、
 病気であることを隠してまで参加する人は
 いないでしょう。)


じっさいに、このあいだ、
わたしのところにも、昨年PTA役員をやってらっしゃったという方から、お電話がありました。

「PTA会員各位と書いていようが、
 学校にお世話になっているのだから、
 非会員でも絶対に、
 PTAアンケートを提出する義務がある。」


「PTAクラス委員はPTA管轄下とか、
 そういう問題ではない。
 学校にお世話になっているのだから、
 PTA非会員であろうと関係ない。
 だから、クジにあたった場合、
 免除に該当しない場合、
 絶対にやっていただくことになる。
 クジになった場合、
 当然、クジに組み込ませていただく。」


などということを、かなり高圧的な口調でまくしたてられ、わたしがまだ話している最中にガチャンと電話を切られました。


このような方が、少数でもいらっしゃれば、相当な圧力・脅しを感じてしまうのではないでしょうか。
このような状況では、PTA活動に過度のストレスを感じ、それでも辞められない方がいて、当然でしょう。

すごく精神的ダメージを感じる方は、多いと思いますよ。

あと、PTAや学校、そして、こういうことをいってきた相手の方に対して、信頼できなくなります。





「学校にお世話になっているのだから」
「大変な人でも、みんな参加してるのだから」


いう言葉が、なにげなく、よく使われます。



この言葉を使われて、断れる人なんて、ほとんどいないでしょう。



「入ってアタリマエ。入らない人間はズルイ人間と思われてしまう。」
「参加活動しないと、子供がひどい目にあう。」

と思わせる空気が強く存在しているのです。





PTA役員さんも色んな人がいますから、
その状況をご存知の方もいらっしゃるでしょうし、
知らない人もいるでしょう。


どちらにしても、

「見てみないフリ」
「放置」

という対応になってしまっています。


それらの圧力を助長するような役員さんも、
少数ながらいらっしゃるようです。
そのような役員さんが少数でもいらっしゃると、
ますます、
自分の意見など言えない状況ですね。


そのようなつもりがなかったとしても、

実質、言論弾圧になってしまっているのです。

「脅しを是認しているやり方」となってしまっています。

多忙などでPTA活動が辛い人に対して、非寛容。

そのようなやり方は、
とても歪んでいると思うし、不誠実でしょう。



「人の弱みにつけこむような在り方」



こどもの幸福を考える団体として、
教育に関わるボランティア団体として、
正反対ともいえる姿勢ではありませんか?


信頼関係を、根底から崩していることにもなっているでしょう。

(信頼関係が無いから、異議も唱えられないし、脱退もできないのでしょう。かなり末期的な状況です。)



いまのPTAは、


善意・自主性・信頼と協力・誠実さ・多様性の尊重といった、本来の在り方でなりたっていません。


結果的にかもしれませんが、、、

タテマエ・同調圧力・脅し・恐れ・不信・非寛容・排他性・犠牲・自責、他責・不安感といったもので成り立ってしまっています。本当に悲しい在り方になってしまっています。


ここまで、悲しく、歪んだあり方になってしまっている団体を、身近で、ほかに見たことがあるでしょうか?

ほんとうに、心が痛みます。

悲しいです。




だからこそ、

「入退会自由の明言化」

が、とてもとても大事だとおもうのです。


「入退会自由」が明言化されていれば、

それは、


「辞めても大丈夫」ということを、
公認し、
お墨付きを与えることになるからです。

これは、安心感・信頼の上で、
非常に大きなことなのです。


(それだけでは、十分とは言い切れない場合も
 多いのではありますが。)

PTAで過度のストレスを感じている人、
本当に辛い思いをしている人に、
『逃げ道』が与えられるのです。



それでも、


「入退会自由と明言したくない」
というPTAは、
よほど、会員に対する信頼、自らの在り方への信頼が無いのでしょう。

「入退会自由を明言したら、会員が激減するから、できない」
という理由を、よく聞きます。

それは、
「PTAの在り方が本当は支持されていない」
と思ってらっしゃるということです。
自らの在り方に、自信がないんでしょう。

あと、
PTA会員に対する信頼も無いということなのでしょう。



「異議を唱えたり、役を嫌がったら、
 こどもがヒドイ目に合わされるかもしれない」

というPTA会員の心情も、
まわりのPTA会員への信頼感の欠如の表れでしょう。

(信頼があれば、このような心配はしないはず)



つまり、、



いまのPTAには、

不信(信頼の欠如)が蔓延してるのではないでしょうか。



もっと正確にいうならば、



PTAの構造そのものが、
保護者間の不信を増幅するようになっているようにみえます。






信頼の欠如。



本当に、悲しいことです。


信頼は、教育の現場にとって、
一番大事なものともいえるのに。



歪んだあり方で、問題放置を続けるほうが、
簡単かもしれません。
しかし、それでは、PTA本来の目的を忘れています。




信頼度、寛容さ、弱い立場・異なる意見の人への尊重度合いが試されているといっていいでしょう。


そのPTAの度量の大きさが、試されています。


どのくらい、
PTAが、自らのあり方と、会員に対して、
信頼を持っているかが、試されているということです。




信頼のないところ、教育は成り立たない。



【 関連記事 】

→ PTA必要論 VS PTA不要論

→ いまのPTAの問題点

→ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう

→ 学校・PTAに子供がお世話になっているのだから、加入するのはアタリマエでは?

→ 入退会自由の周知徹底のメリット

→ PTA活動 直接還元と間接還元


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[ 2011/04/21 07:07 ] [ 編集 ]
「とられている」? 「人質」?
なぜかしら皆さん一様に「とられている」と平気で言いますよね。
平気で「さしだしている」のに。
平気で「さしだしている」のに「とられている」と平気で言う親御さんは、御子さんを授かった時に『いずれ人質にする』と平気で覚悟したのでしょうか?
そんなわけ、絶対に、ないですよね。
人は、人質にするために子を育てたりしません。
できませんもの。
それなのに、どうして、いつから、子育てした自分を信頼しないでも平気でいられるようになるんでしょう?
こんな哀しい疑問、持ちたくないですよね。
[ 2011/04/22 22:44 ] [ 編集 ]
Re: 「とられている」? 「人質」?
FJNさん、コメントありがとうございます。

FJNさんのコメントは、なかなかに解釈が難しい!!
(読解能力が少なくて、すみません・・・(汗))

ちなみに、ついこのあいだもご近所の方としゃべっていたら、
やっぱり「子供が人質にとられているから…」と
おっしゃってました。

かなり多くの方がおっしゃいますから、
やっぱり共通認識として在るようです。


> なぜかしら皆さん一様に「とられている」と平気で言いますよね。
> 平気で「さしだしている」のに。

じっさい、私も「人質にとられている」という感覚は、
よくわかります。
ですから、「とられている」という表現をつかうのも、
無理はないかな~~とは思うのです。

じっさいは、「さしだしている」なのでしょうが、、、

「さしだしている」という感覚はないでしょうね。
「みんな学校へ行くのがアタリマエですし、
 みんなPTAへ入るのがアタリマエ。」
ですから、

「みんな」「アタリマエ」の前に、能動性・主体性というか、
自分が意識してやっているという感覚は消え去ってしまうのでしょう。


> それなのに、どうして、いつから、子育てした自分を信頼しないでも平気でいられるようになるんでしょう?
> こんな哀しい疑問、持ちたくないですよね。

うう~~ん。

FJNさんのおっしゃってることと、
わたしの理解がぜんぜん食い違ってるかもしれませんが、
ご容赦ねがいます。

たしかに、
PTA問題は、
PTAのあり方の問題でもあるんですが、
同時に、個人個人が、自分および周囲に対する自信・信頼度が
試されているとも思います。

けっこう、自信がない人が多いんじゃないでしょうか。

そして、そこまで、意識できる人も、あまりいないのではないかと…。


しかし、PTA問題が解決するとしたら、
トップダウンは難しそうなので、
ボトムアップの方法を期待するんですよ。
いまは、こんな状況ですから、
なかなか無理そうにみえますが、、、

時期がきたら、わりと、気づく人続出するんじゃないかな~~
などと、楽観的に観ています。

こんなレスで、すみません(汗)。

[ 2011/04/23 00:12 ] [ 編集 ]
レスありがとうございます
たぐさん、ありがとうございます!
レスを頂戴して感激しました。

私も楽観的に構えることにします。

私は、親が、
「子は学校に人質としてとられている」
「その人質は学校にお世話になっている」
と感じる一方で、
教員は、
「御子さんを人質としてとっている」
「その人質を学校でお世話している」
と感じていないような気がするのです。

「人質」も「世話」も言葉のアヤなのかもしれません。
しかし、この国は、「コトダマ」という言い方のある国です。
駄洒落で考えると、私は言葉に騙されているのかもしれません。

ともあれ楽観的に構えます。
ありがとうございました!
[ 2011/04/24 09:35 ] [ 編集 ]
Re: レスありがとうございます
FJNさん、どうもありがとうございます。

そうですね。
ずっと、コメント返しもサボりにサボっていましたから(笑)。

根が無精者なんで、すみませんです。



> 教員は、
> 「御子さんを人質としてとっている」
> 「その人質を学校でお世話している」
> と感じていないような気がするのです。

これは、おそらく、その通りだと思います。

「お世話してやってる」と感じてらっしゃる教員の方は、
ほとんど、いらっしゃらないのではないでしょうか。


> 「人質」も「世話」も言葉のアヤなのかもしれません。
アヤ・・・

うーん。
そのように、言葉が一人歩きしているかんじはしますね。
それで、保護者が恐れて萎縮しまったり、
保護者同士でしばりあったりしてしまってる感があります。
言葉に惑わされてしまっている感は、とてもあります。

罪悪感を喚起する言葉なのではあると思いますよ。
言うほうも、言われるほうも、一定の価値観のおしつけあいをしてて、
罪悪感を喚起されてしまっているのかなあ、と。

価値観の押し付け合いということを意識できれば、

「ああ。わたしは、この価値観は要りません」
と、明確に意識できるかどうかも、ポイントになってくるのではないでしょうか。


言葉というものは、
価値観の言語化(ラベル貼り)の意味合いも大きく、
言葉によって価値観をはっきりさせるというのは大事ですよね。たぶん(笑)。

「人質」「お世話」、
それ以外の概念を言語化できてないのかなあという気がします。


> しかし、この国は、「コトダマ」という言い方のある国です。
> 駄洒落で考えると、私は言葉に騙されているのかもしれません。

言霊という概念は、個人的に本当にあると思っていますし、
大事にしています。
だれでも、言葉にだまされたり、おどらされたりはするでしょう。
言葉に対して、意識的であるかどうかだけが、
重要なのではないでしょうか。

言葉というものは、実際、
とんでもなく大きな影響力をもっているとは思いますよ。
特に、その言葉を使った人自身に対して。


あまりハッキリした根拠があって、
楽観的に構えているわけでもないので、
恐縮です(笑)。

でも、楽観的にやってかないと、やってられない部分はありますよね。

あと、やっぱり、
近いうちに、PTAどころの状況ではないというように、
世の中が変わっていきそうな気がするんですよね。
(ハッキリした根拠があるわけではありません)

やれることをやって、
おだやか~に生きていきたいです。

「明鏡止水」という言葉、大好きなもので…

あいかわらず、まとまらないレスですみません・・・

ともあれ、ありがとうございました。
[ 2011/04/24 12:05 ] [ 編集 ]
否定するのは簡単だ。
あるものを否定することはとても簡単。
しかも、ブログで共感者を募るのも簡単。
本当に変えたいと思うのであれば、自分たちが立ち上がり変えていけばいい。
こんなところで、愚痴をいわずに。
[ 2011/05/30 23:37 ] [ 編集 ]
Re: 否定するのは簡単だ。
meさま、まずはご意見ありがとうございます。

PTAという組織が生まれたのは、
もともとアメリカで子どものためということでしょう。でも、GHQを介して日本に入ってきて、
かなり形が歪んでしまったんじゃないでしょうか。

PTA理念は、あまり日本人の気質には
合わないものだったように感じています。

「こんなところで愚痴をいってないで、
 率先して、なにかをするべき」

というご意見ですが、、、

このようなブログでも、
かなり役に立っているようです。
感謝のメールも時々いただきます。

「これこそ、本当のボランティアだ」
と、おっしゃってくれた方も
いらっしゃいます。

「PTAについて、
 非常にうまくまとめている」
と、
2chや育児掲示板で書いてくださっていることも
見かけます。

まずは、「知ること」からだと思っていますし、
十分役に立っていると思います。

それにブログで書くだけではなく、
園長先生や校長先生、
役員の方ともずいぶん話もしてきました。

その結果、
園長先生は「任意だと周知していく」
と約束してくださいました。
今回のPTA会長さんも
「PTAは任意の組織」とPTAだよりに
書いてくださいましたよ。
そこそこ役に立っているのではないでしょうか。


役員になって変えていこうという方も
いらっしゃるようですが、
それで、うまくいく方もいらっしゃれば、
全然うまくいかない方も
いらっしゃるようです。
作家の川端裕人さんも
PTA役員であったときに
変えていこうとなさってましたが、
うまく運ばなかった旨、
ブログに書いてらっしゃいました。


それぞれの形があって、
いいのではないでしょうか。

「~~であるべき」
という形はないと思っています。

PTAに対しても、
「~~であるべき」というより
「~~したほうがいい」という言い方を
心がけています。

「~~であるべき」という言い方は、
とても限定的であり、
自分と他人を責めたり追い詰めたり
しかねない言い方になりますから。


「ただPTAを辞める」
というのも、
それだけで十分な意思表示だと思いますし、
「問題提起」
をするというのも、
十分、意義深いことだと思っています。

PTAの愚痴・批判は、
全国的に、
多くの方がされていると思いますが、
(わたし自身も、
 PTAに対する愚痴をいろんな人が
 しているのを耳にしたことが
 たくさんあります。)

それはそれで、いいのではないですか。

もっとも、友人同士で愚痴を言い合うだけより、
PTA役員さんたちに対してや、総会で、
ちゃんと意見として言うほうがベターだとは
思います。


「まずは知ること」「伝えること」が
とても大事と思っていますし、
それを実践しているに過ぎません。


ありがとうございました。


[ 2011/05/31 05:58 ] [ 編集 ]
負担はだれが?
こんにちは、現小P会長です。

疑問・不満の数々、ほんとうによくわかります。

理屈の上で、「PTA糾弾派」(笑)のみなさまの理論は正当なものだとおもっています。

いろいろなところで意見を聞き、僕が感じていることは「PTAの主体」とは誰なのかということです。

たとえばこのブログにおいて主張していることをどなたにぶつけようとしておられるのか、という疑問です。


ご存じの通り、「PTA会長なし執行部」を喜んで、進んで、積極的にやろうとする人はごくごくレアです。

ほぼ全員が、「だれかがやらなきゃいけないならやるしかない」というレベルでやっているはずです。

そして時には子どもたちのためになることを、そして時には無駄だと思われることを、貴重な時間を割いてやっているわけです。

現状、強制加入でまわっているシステムを、任意加入にすることによって、例年とまったくことなる組織となるために、大変な手間と暇をかけなければならなくなるわけですが、そのコスト(お金という意味ではなく、手間暇という意味)を誰が負担すべきとお考えですか?

僕は、前年度から引き継いだことをこなすのに必死にやっている現役員の皆様に、これ以上の負担をかけたくありませんし、自分自身もやりたくありません。

なにかを変えたいと思うなら、変えたいと思う人が、手間暇を負担するのが筋だと思います。

なるのが難しい政治家や会社役員ではなく、だれでも手をあげれば執行部になれるのだから、署名運動などをするよりも、さっさとPTA執行部に入り、改革をしていったほうが早いし、筋が通ります。

しかしPTA不要論のかた、もしくは任意加入希望のかたがPTAのシステム変更のためにコストをかけるということは当然ありません。


コストは誰が負担すべきでしょうか?










[ 2011/06/15 16:02 ] [ 編集 ]
Re: 負担はだれが?
コメントありがとうございます。

なるほど…。

PTAの問題点は理解されているものの、本部役員は忙しすぎて、改善する暇などないのが、悩みの種ということなのでしょうか…。

そして、問題点を指摘する人にこそ、がんばって、改善していってほしいということでしょうか。




>いろいろなところで意見を聞き、僕が感じていることは「PTAの主体」とは誰なのかということです。

PTAの主体はPTAの会員さんたちではないでしょうか。

または、教育の場の環境改善を本当に大事と考えている人でしょう。



>たとえばこのブログにおいて主張していることをどなたにぶつけようとしておられるのか、という疑問です。

このブログの目的は、いくつかあります。

まず、うちの幼稚園の方々や園長先生にわかりやすく説明するため。わたし自身の情報整理のため。

PTAとはどのような存在なのか、どのような問題点があるのかを整理して、PTAのことで色々疑問がある人に対して情報提供をするため。そして、その周知に貢献するため。

PTA活動がすごくストレスな方に、心身を病む前に、逃げて(脱退して)もらいやすくするため。


ほかにも、色々と雑多な目的はあるかと思いますが、概の目的は達成できているかと思います。


>現状、強制加入でまわっているシステムを、任意加入にすることによって、例年とまったくことなる組織となるために、大変な手間と暇をかけなければならなくなるわけですが、そのコスト(お金という意味ではなく、手間暇という意味)を誰が負担すべきとお考えですか?

それをやる意義が、コストを上回ると思う方なら、誰でも。
それが、どのような立場の方でも、いいのではないでしょうか。




>僕は、前年度から引き継いだことをこなすのに必死にやっている現役員の皆様に、これ以上の負担をかけたくありませんし、自分自身もやりたくありません。

この一文だけでも、PTAの問題を見事に表現なさっていますね。

やりたくないのなら、それはそれで、仕方のないことです。
誰にも強制できる話でもありません。



>なにかを変えたいと思うなら、変えたいと思う人が、手間暇を負担するのが筋だと思います。


たとえば、テニスサークルがあって、問題を内部にかかえていたとします。

気弱なAさんが、Bさんたちのグループに虐められていた…とかです。そしてAさんのケースだけでなく、このサークルでは似た虐めがやたら頻発したりしていたら、どうでしょう。

この問題を解決するには、PTAの問題ほどではなくても、それなりのコストがかかりますね。

「そのコストを誰が負担すべきか?」

つまり、

「そのコストを負担するのは、Aさん自身、もしくはAさんを不憫に思う人がサークル会長になって問題解決するべき。現会長は忙しいし、たいした問題と考えてないから。」

と、おっしゃっているのと、同じでしょう。

たしかに、Aさんの問題でもありますが、そういうケースがやたら頻発するということは、そのサークル自体が腐敗しているということです。

AさんやAさんを不憫に思う人が改革するのも一つの手ですが、その場合は、適当にやりすごしたり、脱退するという手段だけで済むことが多いのです。

しかしテニスサークル全体の問題ととらえた場合、そのテニスサークルの活動を本当に大事に思っている人が、コストを負担することになるのでしょう。


ところが、PTAの場合は、執行部の方々も含めて、PTA自体を大事に思っている方など、ほとんどいないのでしょうね。「PTAは必要」をおっしゃっているような方でも、実際は、あまりPTAというものを大事に思ってらっしゃらないというのが実感としてあります。PTAというよりも、教育の場の環境を、本当に大事に思ってらっしゃる方…ということになるのだと思います。



>なるのが難しい政治家や会社役員ではなく、だれでも手をあげれば執行部になれるのだから、署名運動などをするよりも、さっさとPTA執行部に入り、改革をしていったほうが早いし、筋が通ります。

それはどうなのでしょう。
PTA執行部に入り、内側から改革しようとされた方の話は、ときどき聞きます。
しかし、まったく改革が進まない場合も多いようですよ。
このブログでよく引用させてもらっている作家の川端裕人さんなども、その一人です。非常に嘆いておられました。役員をやっておられ、改善できず…その後、中学ではPTA脱退という道を選ばれたようです。



リンク集にリンクを貼らせていただいている、とまてさんなども、「役員になっても一人では無理。同調者となってくれる方が複数いないと。」という趣旨のことをおっしゃっています。

もっとも、改革に成功した方も、もちろん、いらっしゃいます。

しかし、執行部に入り、改革していったほうが早いとは言えないのです。

個人的に、話を聞かせてもらった方もいらっしゃいます。その人の大変さ、苦労談は、涙なしには語れません。PTA執行部に入り、改革をしていったほうが絶対的に早いということは、ないのです。(そのほうが早いこともあるでしょうけれど)


また、以前、以下のようなコメントをいただいたこともあります。
「PTAの要・不要は主観的なことです。
不要と思いながら入会していることは、会の存続の肯定で、異議もとなえられないのは、多数に従う日本人の特性です。
異存があるなら、条件付きで参加するか、退会するかしましょう。
ちなみに私は改革に手を尽くしたうえ退会しました。」
http://pta55.blog57.fc2.com/blog-entry-15.html

「異存があるなら辞める」という手段を提示されておられますが、そのような手法も、十分、筋が通っているのではないでしょうか。

それぞれの、やり方があっていいと思いますよ。


>しかしPTA不要論のかた、もしくは任意加入希望のかたがPTAのシステム変更のためにコストをかけるということは当然ありません。

そのようなことは、ありません。
そういう事例が少ないことは認めますが。
先述したように、PTA改革しようと思い、執行部に入った方も、ちゃんといらっしゃいますよ。成功した方も、失敗に終わった方もいらっしゃいます。

PTA執行部の外側から訴えて、PTA改革に成功なさった方もいらっしゃいますね。その方の活動記録を見たら、とうてい「コストをかけてない」など、誰も言えないはずです。


また、ただ、PTAをお辞めになった方も、けっこう悩まれたでしょうし、非常に勇気のいることです。心労もかなりかかることでしょう。それは、ただ、漠然とPTAを続けるより、はるかに大きなコストだと、感じています。

PTAに異論を唱えるだけでも、この同調圧力の強い日本社会において、どれだけの心的コストがあるか、理解されてないように感じます。PTAに異論を唱えた方の大変さを、わたしもいろいろ聞いてはきましたが、ものすごい大変なことなのですよ。

また、川端さんのように、本に書いて周知する努力をされている方も、十分、「コストをかけている」と思います。

わたし自身も、このブログを書くことに使った手間隙は、膨大なコストをかけています。

執行部に入ること以外の活動を、異議あること、またはコストと認めないという姿勢も、どうかと思うのですが。

人それぞれのやり方や、事情、考え方というものがあるのです。そもそも、そういう人それぞれのやり方や考え方というものを、尊重しない姿勢が、PTAの問題の根源なのではないでしょうか。



>コストは誰が負担すべきでしょうか?

PTAは、多くの人に、非常な心的苦痛を与えているのは確かでしょう。

望んでやっていることではないとはいえ、結果的に、それだけ、ひどいことを容認しているわけです。


執行部の方々も、望んでやっておられるわけではないけれども、結果的に、PTA存続に力を貸し、加害者側であるということになってしまいます。

そういう状況が、教育という場に、歪みをもたらしているでしょう。


結局は、当事者の良心の問題となるのではないでしょうか。


誰がコストを負担すべきか?

「すべき」人なんて、いません。
誰にも、強制なんて、できはしません。
そういうことも含めて、義務ではないのです。
「すべき」というのは、相手や自分を責める言葉であり、個人的にはなるべく使わないように心がけています。

「コストを負担する人」を、あえて言うならば、良心が麻痺していない人。PTAや教育の場の改善のことを本当に大事に考えている人。このような状況を改善することの意義を、コスト以上に感じていて、なおかつ、それができるだけの時間的経済的精神的余裕のある方でしょうね。

そして、そのやり方は、色々とあるということです。

総会で、色々と話し合うのもいいかもしれませんよ。
もともと、総会とは、そのためにあるのでしょうから。

実際に、PTAを脱退する方は、全国的には、増えていっているようですよ。

脱退する方が増えれば「PTAって任意だったんだ」「脱退しても案外平気なんだ」と気づく人も多くなるでしょう。

そのうち、自然に、任意加入であることを、全員がわかる日がくるかもしれませんね。

もし、そのような日がきたとするなら、初期に脱退した勇気ある方々や、PTAの問題点の周知に尽力した方が、コストをかけてくれたおかげでしょう。


「他人の意見・やり方を尊重すること」や、「まず知ること」から始めることは非常に大事なことだと思いますよ。


あと、役員さんのお仕事が大変なことは認めますが、PTA改革のほうは「任意加入です」と、まず宣言するだけでもいいのではないですか? 任意加入を表明しているPTAでも、じっさいには脱退する人はほとんどいません。大規模に改善していく必要もないでしょう。あるいは、仕事を少しずつ軽減していくとか。改善するとしても、それぞれの代で、一歩ずつ程度でもいいのではないでしょうか。


ひとつ案ですが、役員さんの席で、「改革係」という役職をいくつか増やすということを考えたことがあります。
希望者がいないときは、欠員のままでOKという席です。いままでの役員さんは忙しくて、なかなか改善まで手が廻りにくいので、その係りの方に、PTA改善のことだけに特化して取り組んでもらうということです。
PTAを辞めたくても辞めれない方は、その係りに入ることで、辞めずに済み、かつ、良心も痛まず非常に有意義な活動ができるのではないでしょうか。


いきなり、「PTAは問題がある。任意加入を周知して!」というよりも、受け入れてもらいやすい案かなあと思いました。


まあ、一つの案ですが・・・


このブログのリンク集には、「PTAを改善しようとして役員になった経験がある方」のサイトがたくさんあります。
どうやら誤解をされているようなので、そういう方々のお話を聞いてみるのも、大変参考になるのではないでしょうか。

PTAスリム化又は廃止を具体的に考える : インターエデュ・ドットコム
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?1114,1760632,page=1
この掲示板など、非常に参考になるかと思います。


ありがとうございました。


[ 2011/06/16 19:09 ] [ 編集 ]
勉強させて頂いております
はじめまして。湖岸のAと申します。ひょっとして、ご挨拶は既にさせていただいたかもしれません。物忘れが酷い年ですのでご容赦ください(^^;

さて、本年度より貴ブログで勉強させていただいております。PTA諸問題に関する課題(問題提起)や論点の整理、それらに対するご意見やご解説、そして単に批判だけでなく建設的なご提案など、非常によくまとまっていて、わかりやすいです。それは私のような感情が先走る単細胞人間には到底真似できないものです。梅雨でじめじめした日ですが、爽快さすら感じさせられます(*~_~*)ということは節電効果もありますね!(^^)!凄い(^^)

さて、
>PTAをお辞めになった方も、けっこう悩まれたでしょうし、非常に勇気のいることです。心労もかなりかかることでしょう。それは、ただ、漠然とPTAを続けるより、はるかに大きなコストだと、感じています。

PTAに異論を唱えるだけでも、この同調圧力の強い日本社会において、どれだけの心的コストがあるか、理解されてないように感じます。PTAに異論を唱えた方の大変さを、わたしもいろいろ聞いてはきましたが、ものすごい大変なことなのですよ


 ↑上記の貴ご見識は、現在の私がその立場ですので、ご理解を頂いているように感じ、感動しております。ほんとうにその通りです。学校で唯一PTAに入っていないというのは「心労」?「心的コスト」がかなりあります。私は中P会長も経験しましたので、前年よりの引継事項に真摯に向き合うよりもずっとストレスがあると断言できます。会長の任期は1年で終わりでしたが非加入は卒業まで続きますから。
(ひょっとするとこの状況に慣れるかもしれませんけどね。)

 まっ、「自分で選択した道」ですから、何があっても、当然、自分で責任を負うわけで、そういう意味では大阪弁?で「しゃーない」ってことだと思っています。

 ぇぇーと、こんなまとまらない文章しか書けないので、なかなかコメントする勇気が出ませんでした(T_T)本年度、貴ブログを応援する人間が一人増えたとご認識頂ければ幸甚に存じます(^^)/

 時節柄、ご自愛くださり、無理のない範囲でご活躍されますよう祈念しております。





 
[ 2011/06/20 16:59 ] [ 編集 ]
Re: 勉強させて頂いております
湖岸のAさん、コメントありがとうございます。

なんだか、ものすごく褒めていただき、本当にありがとうございます。

中学でP会長をされていたのですか…。

そういう方に「PTA非加入は役員より、とてもストレスがかかる」とおっしゃっていただけると、とても説得力があり、心強いですね。(^-^)


PTA非加入の道は、子どもや周りの方に対する罪悪感など、いろいろ心的コストが大きいわけですから、それを理解していただきたいところですね。


> まっ、「自分で選択した道」ですから、何があっても、当然、自分で責任を負うわけで、そういう意味では大阪弁?で「しゃーない」ってことだと思っています。

まったくもって、おっしゃるとおりだと感じます。

>本年度、貴ブログを応援する人間が一人増えたとご認識頂ければ幸甚に存じます(^^)/

はい!
とても温かいメッセージ、
誠にありがとうございます。(T-T)

拙ブログも、人の役に立っているとわかるのは、
嬉しいことです。



[ 2011/06/21 06:37 ] [ 編集 ]
補足させてください
「PTA非加入は役員より、とてもストレスがかかる」ということについて、少し補足させてくださいm(_ _)m 

私の場合、PTA関係で一番お気楽だったのは一般会員(役員や○○係などの役割分担が無い)年度でした。一年間PTAの存在すら気にしない日々で最も幸せでした(^^)

役員になると(・・・割愛・・・)役職毎にそれなりのストレスがかかります。ただ、良いか悪いかは別にしてPTAには前例や組織というものがあって大いに助かったのは事実ですし、会員(仲間)が多いというのは精神的に楽です。群れてるほうが楽なんですね。数は力ですから。

非加入や退会すると【役員の責務】、【前例】や【組織のオキテ】から解放されます。これらが何よりのメリットだと感じています。一方で非加入者の実体験談などの「前例」が少なく、近くに非加入仲間もいないということが『日々の不安材料』です。暗闇で一人でいるのが怖いのと同じ理屈のように感じています。私の場合、罪悪感は無いですが、群れてないから何となく不安というのもあるんだと思います。仰るように妻は子供のことを非常に心配しています。

その上に、学校側やPTAからお手紙やお電話をいただいたりしますので、心的疲労の一因です。私の場合最悪だったのは、「当校のPTAは任意加入となっていません」っていう迷言を堂々と宣言される会長様でしたので、そんなお手紙を頂いた日はストレスMAXでした。今となっては、血迷っている会長様が可哀想でもありますが(^^;

そんなこんなで、非加入(退会)と役員のストレスを私なりに分析しますと、発生原因、期間、前例や仲間、そして子供のことなどのキーワードによって様々なパターンがありそうに思います。

たぐさんを始め、全国には非加入(退会)者のことも理解しようとしていただける方々が少なからずおられることを知って大変心強いです。感謝しています。


[ 2011/06/21 13:55 ] [ 編集 ]
Re: 補足させてください
湖岸のAさん、コメントありがとうございます。

補足、ありがとうございます。
おかげさまで、より、具体的に状況がわかりました。

たしかに、群れているほうが、精神的にはすごく楽ですね。

ただ、PTAのことはともかくとして、多くの人と同じように行動することが本当に安全とは限らないわけですが…。

前例のないことをするというのは、それだけでストレスかかります。

ただ、Aさんのコメントをみて、PTA非加入のストレスのかかり方というのはやはり個人個人ちがうのだと、改めて認識できました。

奥様の気持ちも非常によくわかります。

PTA非加入で、こどもに影響がある事例は少ないということがわかってきたとはいえ、絶対に皆無とは言い切れないわけですから・・・。


しかも、義務教育である小中とはまた別の事情が高校のPTAには、あるようなので、ややこしいです。(そのようなことを、以前カワバタさんが描いておられたような記憶があります。)



しかし私の通っていた高校は私立で、PTAやPTAに近い存在はなかったのです。だから、高校のPTAというのものが、どのようなものかは、いまいちピンときておりません。すみませんです…。

湖岸のAさんは、以前、「管理人にだけ見せる」コメントで、コメントくださった方なのではと推測しております。


ともあれ、ありがとうございました。

[ 2011/06/21 15:12 ] [ 編集 ]
以前コメントしました(^^;
たびたびお邪魔いたします。
以前にそのコメントをいたしました。
HNは変わっているかもしれません。
どこかで、名前欄にAだけ入れようとしたら自動的に拒否されたので何か別のHNをとしたように思います。記憶が曖昧ですいません ^^;

ありがとうございます(^^)


[ 2011/06/22 13:29 ] [ 編集 ]
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