PTAのホントのところ

PTAで調べたこと。PTAの基礎知識と問題点。入退会自由なのか?。非会員の子は行事参加できないのか?など

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[この記事を編集] [ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

学校・PTAに子供がお世話になっているのだから、加入するのはアタリマエでは?


「学校やPTAに子供がお世話になっているのだから」


というフレーズは、じつによく耳にします。

法律の上では、強制力がないのはわかってるから、
モラル的に、相手を縛ろうということなんでしょうね。


一見、かなりの説得力をもっているように見えます。



しかし、このフレーズを聞くとき、いつも疑問に思うことがあります。


「はたして、この人は、PTAの無い学校へいったとき、
 ご自分がPTAをつくってまで、PTA活動をするのだろうか?」
そんなふうに考えます。


「学校にお世話になっていて、その恩を返すのにPTA参加は不可欠」と、本気でおもってらっしゃるなら、自分でPTAをつくってでも、参加するでしょう。

しかし、そんな人は、ほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。




【PTAアンケート結果】
産経新聞2009/05/28 より抜粋
【私も言いたい】「PTA改革」 「必要」「プラス」50%台
今回のテーマ「PTA改革」について、26日までに655人(男性433人、女性222人)から回答がありました。「PTAは必要」「子供の教育や親にプラスになる」との回答はともに50%台。「組織改革を行うべきだ」は9割以上に上りました。
 (1)「PTAは必要と思うか」  YES→58%、NO→42%
 (2)「子供の教育や親自身にとってプラスになるか」 YES→52%、NO→48%
 (3)「何らかの組織改革を行うべきか」 YES→95%、NO→5%


こんなアンケート結果も出てますし、「学校にお世話になっているのだから」とよく言われるわりには、「不要」と思っている人が意外と多いのです。
また、「何らかの組織改革を行うべき」と思う人が95%もいらっしゃるということは、いまのPTAには色々と問題があるということでしょう。



つまり、学校や社会にお世話になっているからといっても、本気で、PTA活動に自信をもっている方など、ごく少数なのではないでしょうか。



学校・社会に受けた恩を返すため、絶対に、PTA活動する必要性など、ないわけです。
ほかに、いくらでも、学校や社会に恩を還元する方法は、あるわけです。

「なぜ、PTAだけを、そんなに推してくるのかな?
 ほかのボランティアにくらべて、
 そこまで、PTAって、いい団体だったかな?
 むしろ、かなり問題・弊害の多い団体じゃないのかなあ?」

と、いつも、思います。



世の中、多くのボランティア団体があり、なんらかの形で色々とお世話になってると思います。それらのボランティア団体が「お世話してるし、恩恵もあっただろう?なにかお返ししろ!」と言ってきたらどう思いますか?
そんなボランティア団体は、もはやボランティア団体とは呼べませんね。その団体に対して、とても不信感と反発を抱きます。

たとえば、うちの地区では、学校も幼稚園も、ボランティアを募集しています。幼稚園では「図書貸し出しボランティア」なるものがあり、有志のお母さん方がやってらっしゃいます。市の図書館も、ボランティアを募集しているときがあります。
もし、その方々が、

「あなたのお子さんは図書ボランティアのお世話になってますね? なら、あなたも図書ボランティアやって当然でしょ!やらないなんて、恥しらずだわ。もし、やらないのなら、あなたのお子さんは図書ボランティアの利益を受けられなくてもいいわよね?」

なんておっしゃったとしたら、、、どう思いますか?

そんなこと言う人がいたら、みんな、ものすごくビックリするでしょう。
「まさか、そんなことを言うボランティアがいるなんて!」と、思うでしょう。

おそらく、そのボランティアの方は、まわりから信用を失うでしょう。

とても、恥ずかしい発言だとはおもいませんか?

PTAは、同じような発言をしていませんか?



「学校やPTAにお世話になっているのだから、加入するのはアタリマエ。入らないで、恩恵だけ受けるなんて、恥知らず。」というのは、それを言うことのほうが、ものすごく恥ずかしいことではないでしょうか。

PTAが会員制サービス業者なら、話はわかります。

でも、PTAはボランティア団体なのですけれど・・・。



また、学校のお世話になっているというなら、役所にも病院にもスーパーにもお菓子メーカーにもゲームメーカーにも、ありとあらゆる人と会社にお世話になっているはずです。では、それら全てに労働奉仕するのですか?なぜ、学校やPTAだけなのですか?


家族が老人ホームのお世話になったら、そこの関連団体に入り、労働奉仕をして当然なのでしょうか?


それをしない人は、「家族がお世話になってるのに、恩知らずの、どうしょうもない人間」ということなんですか?


また、

アメリカのPTAは加入率20%だそうですが、、

アメリカの学校に行ったばあい、
PTAに入ってない人の80%に対して、
「こどもがお世話になってるのだから、
 入って当然でしょう?」
と、言えるのでしょうか??

言えないんじゃないですか?

(日本のPTAでも、
 加入率が80%くらいのPTAなら、
 言えないんじゃないですか?)

アメリカじゃ言えないとしたら、
いま日本では数の上で
圧倒的に多数派だから
数の権威でもって、
「こどもがお世話になってるのだから」
と、言ってるだけに
すぎないってことになりますよね。
本心から、そう言ってるわけじゃないって
ことですよね。




「PTA活動に恩恵を受けているのだから、PTAに参加するのは当然。やらないのは、恥知らずで恩知らず。」


このような持論を展開することのほうが、よっぽど、恥ずかしいことに思えるのですが…、いかがでしょうか。




別に、他のボランティアや慈善活動でも、十分にPTAに所属する方々や社会全体に恩恵を返しているのではないですか?


お仕事して働くということも、ものすごく立派な社会貢献だと思います。

幼稚園の先生、学校の先生、農家の方々、パン屋さん、公務員の方々、野球選手、漫画家、主婦、、、、


お金を稼ぐため、自分のために働いてらっしゃるとはおもいますが、それだけではないでしょう。どんな職業も(犯罪的職業は除く)、社会の役にものすごく立っています。働くこと自体が社会の役に立っていますし、お給料の中から、税金も払ってらっしゃいます。ものすごい社会貢献ですよね?

日Pさんは、税金から、ずいぶんと補助金をもらってらっしゃるようです。ということは、税金を払っているというだけでも、PTAに恩恵を与えているということでは?


少子化の日本でもありますし、子供を産み育てているだけでも、ものすごく立派な社会貢献だともおもいます。
こどもを育てていると、まわりに迷惑をかけることも多々あります。しかし、同時に、ものすごい社会貢献もしているのです。

学校に恩をうけているのは確かですが、こどもたちが少なくなったら、職がなくなって一番困るのが学校であり先生です。
すでに、おたがいに、助け合っているのです。



「学校・PTA活動に恩恵を受けているのだから、PTAに参加するのは当然。やらないのは、恥知らずで恩知らず。」
という言葉は、

ものすごく悲しい言葉だとおもいます。

とても傲慢にもかんじます。


せっかくの善意を、

義務・強制に変えてしまっています。



さらに、、、
今のPTAは確かに恩恵もある程度受けますが、弊害も大きいと思いますので、「お世話になってるだろ!」なんて、あまり大きなことは言えないのではないでしょうか。


世の中いろいろな考え方や事情があります。PTAの考え方、やり方に賛同できない人も、忙しくて都合のつかない人もいるのです。子育ての忙しい時期が終わった後で、PTA以外のなにか世の中に役立つことをそれぞれのできる範囲でやれば、それでいいのではないですか。それが、なによりの「お返し」でしょう。「できる人が、できるときに、できる範囲で」がPTAの考え方の基本ですから。



・・・。


ここで終わってもいいのですが、
もう少し、個人的な意見を言わせていただきます。


PTAにお世話になっているといえば、なっているかもしれません。

PTAのおかげで、PTA行事は増えますね。夏祭りとか。
でも、いまの子供にとって、そんなに魅力ある行事に思えません。
さらに、その行事にかかる労力コストは莫大で、そんなにコストはらうくらいなら、個々の家庭で、ハイキングにでも行ったほうが、よっぽどいいのではないかと思っています。
100円の板チョコに、1000円くらいかけているような感覚です。


記念品の類もそうです。
卒業式にくばられる紅白饅頭や鉛筆セットといったもの。ほかの機会にも、いろいろ配られます。
しかし、いまどき、各人で格安で買えます。
PTA非会員であっても、実費を出せば、同じように配ってくれるところが多いそうです。
(出さなくても、配ってくれるところもあるようです。)
しかし、それらがPTAの恩といわれても、、、自分で買ったほうが、自分の好みのものが買えますし、よっぽどいいかもしれないのです。。


交通指導も、毎日やっているわけではなく、たいていのところは月一回程度です。
ほんとに危ない道なら、毎日やらないと、意味がないのでは??
月に一回程度、見守っていてくれていても、他の日だって、なんにもないのだから、効果があるのかどうかは、はなはだ疑問です。
危険箇所だって、個人で行政に申したてできます。


運動会行事のお手伝いなどは、PTAの恩恵があると思いますが、PTAより、その都度ボランティアを募ってやってもいいんじゃないでしょうか。そのほうが、圧倒的に、気が楽です。


学級のことは、クラス懇談会で十分な気がします。


イジメなどの問題でも、PTAが役に立ったということ、ほとんど無いのではないでしょうか。



いま挙げた活動はマシなほうで、「めちゃめちゃ無駄なんじゃない?」といわれているPTA活動は、かなり、あるようです。



むしろ、いまの状態のPTAでは、PTA活動がないほうが、いろいろ心労や軋轢が少なくていいんじゃないかと思うのです。

もしかしたら、わたしが知らないだけで、すごい恩恵のある活動をしてらっしゃるのかもしれませんが…。(かなり調べましたが、これといった活動は見つかりません。)



そんなに「お世話になってるだろう!!」と大声で言える活動って、みあたらないのです。



これは、個人的な価値観ですので、人によっては、ものすごいお世話になってるように感じる方もいらっしゃるのでしょう。

すくなくとも、わたしの価値観では、「たしかにある程度のお世話にはなってるけど、なくても困らない。」くらいなのです。


PTAの物品や行事がほしいわけではありません。
あまり、それらに魅力を感じません。


ただ、学校のカリキュラム内で、他の子と差別するような扱いをしてほしくないというだけです。


たしかに、ある程度、お世話になってはいますが、弊害のほうが大きいと感じます。

恩恵が全く無いわけではないので、感謝はしますが、それを盾に「お世話になってるだろう!」「やってアタリマエ」と言われるのは、納得できないのです。




『参考リンク』
→ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう

岩竹美加子さん「国家の装置としてのPTA」 国立歴史民俗博物館研究報告・第132集 より抜粋。
---------------------

私が学校に望んでいるのは、『安心して静かに学べる場』です。
それすら危ぶまれているのに、町会とのつきあいのもちつきなどなくてもけっこうです。

町ぐるみ運動会、バスハイクも歩こう会もラジオ体操も講演会もいりません。

しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、
休み時間に子供達が仲良く遊べればいいのではないでしょうか。

なぜそれ以上母親が時間をけずってPTAの仕事をしなければならないのかわかりません。

-------------------




学校には確かにお世話になっています。


PTAに所属し活動することが、
学校および社会全体に恩を返すことになるとは思えません。

PTA活動による学校・社会に対する恩恵・還元もありますが、
弊害・問題のほうが、はるかに大きい団体だと感じているからです。



総合的にみると、
PTAに所属し活動することは、
学校・社会に恩義を返すことにならないばかりか、
かえって社会に対するPTAの弊害・問題を助長することに、
協力してしまうことだと
考えています。


PTAに所属・活動するよりも、
その分の労力・お金で、
別の募金・ボランティア・本職に励むことのほうが、
社会全体、ひいては学校に恩義を返すことになると感じています。



また、子育て世代というものは、
外に働きに出ている出ていないにかかわらず、
総じて、ものすごく忙しい時期です。
時間的経済的余裕が最も無い時期なのです。
そのような超多忙な時期に、無理して恩義を返す必要性はないでしょう。
PTAで無理して心身を病む事例もよくあるそうです。
年金暮らしになるなど、時間的経済的余裕ができてから、
恩義を返すという気持ちでいるほうが、建設的だと思います。
時間的経済的余裕のない保護者同士による「役」の押し付け合いという、
人間関係の軋轢・トラブル・ギスギス感・精神的苦痛を、
防止することもできます。
(「役」の押し付け合い、強制といった大人の姿、
 こどもに見せたくはないです。
 教育上も非常によろしくないのではないでしょうか。)


PTAはボランティア団体ですし、
本来なら、ボランティアは、
経済的時間的精神的に余裕のある人だけができるものでしょう。


シングルマザーの方や、外に働きに出てて超多忙の方にまで
強要しているのは、どう考えても、おかしいです。



これは個人的意見ですので、


「PTA活動で学校・社会に恩義を返したい」
と思う方は、大いに活動されるといいでしょう。



自主的に、

「学校にお世話になっているのだから、恩義を返したい」

と思う心情は、非常に美しいものであると感じます。



しかし、それを他人に押しつけようとすると、
とたんに、「美しいもの」から「醜いもの」に
変わるのではないでしょうか。

「善意」が、「強制・非難・責め合い」になります。



「学校にお世話になってるのだから」
は、自主的に思うから美しい心情なのであって、
他人に押しつけ、無理強いしても良い
という概念ではないでしょう。
他人に押しつけると、
自主性や多様性の尊重・思いやり・寛容・誠実さ
といった概念から遠ざかります。
お互いに信用をなくす原因ともなります。


役決めのときの雰囲気が、顕著に物語っています。


非常に息苦しいのです。


かえって、
人間関係をギスギスさせている要因に
なっているのではないでしょうか。



「学校にお世話になってるから」
と自主的に思う気持ちで善行をつむなら、
それは、自分の気分もよく、
すばらしい経験になることでしょう。

でも、他人に
「学校にお世話になってるんだから」
と、義務を強調して言うやり方は、
非常に息苦しいです。
おなじ善行を積むなら、
気分良くできるほうを選びたいと思います。




【こうであるべき理論】で、
お互いを縛りあうのは、もう、止めにしたいものです。



「学校にお世話になっているのだから」
自覚無く使ってらっしゃるかもしれませんが、
そのような言葉が、他人を追い詰めることになります。
息苦しい社会を形成する一端に
自分自身が加担することになってしまいます。


じっさいに、
「学校にお世話になっているのだから」
という言葉のため、
「PTA活動したくないと感じる私が悪いのだ(自責)」

「PTA活動をさぼろうとしているあの人はずるい。(他責)」

「PTA活動をしなければ、
 当然の義務をサボる人間とみなされ、
 こどもに差別・迫害を加えられるかもしれない。(不安)」

と感じて、苦しむ人は、いらっしゃるでしょう。



PTA活動に苦痛を感じ、心身を病む人は、
たくさん、いらっしゃいます。

PTA活動で強いトラウマを感じ、不登校にまでなったしまった人。
病気を隠してでもPTA活動をがんばったため、
お亡くなりになってしまった人。

じっさいに、そのような方がいらっしゃるようです。



→ リヴァイアさん、日々のわざ: PTAは、会員ががんで闘病中でもそれを「検出」できない。そして、役は公平に与えられる

→ PTAは、社会参加の第一歩、かもしれないけれど

→ PTAよ成仏してくれ!|まるおの雑記帳-




わたしが実際に知ってる方でも、
命にかかわるような病気を隠して、
PTA活動をがんばってらっしゃった方が
いらっしゃいました。





「学校にお世話になっているのだから」
という言葉で、
他人に圧力をかけ、その結果、
その人が心身を病んだり、お亡くなりになった場合、
責任をとれるのでしょうか?


【保護者が心身を病んだら、
一番悲しく辛い思いをするのは、お子さんでしょう。】


PTA関係のことで、子供を苦しめていいのでしょうか。


ご自分のなにげない言葉が、
他人を苦しめ、追い詰める可能性があることは、
知っておいてほしいとおもいます。


というわけで、

「学校にお世話になっているのだから、
 PTAにはいって活動しましょう」

という理論は、
とても空しく聞こえるのです。

なぜなら、

PTAにはいって活動することは、
良心が痛むような行為だからです。(すくなくとも私にとっては)


いまのPTA活動が、
総合的にみると、
学校や社会、ほかの保護者のためになると
とうてい思えないのです。



【 参考記事 】

≫ PTA強制入会についての意見きかせてください
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1081869990

個人でがんばっても限度があるからPTAと言う団体で学校に物申す
って意見もあったけど、本当か?
もし、子供がいじめられてますって言う保護者がいたとして、
教師に相談しても解決しなければPTAに相談するか?
で、PTAがイジメをしている子供やその親に何かしてくれるのか?
学級崩壊だって同じ。PTAで学級崩壊を起こしている教師やクラスの子供とその保護者に対し何か行動するのか?
破廉恥教師がいる。子供が嫌な思いをしてる。そのとき、保護者ってPTAを頼るのか?
もし、PTAが団体として解決できるのなら、いじめも学級崩壊もほとんどないはずでしょ?
子供が何かしらの被害者になったとき、親はPTAなんて頼らないと思うけどね
会長の携帯電話、家の電話番号を会員全員に配って、何かトラブルがあったらすぐに連絡してください
PTAとして対処します
なんて話聞いたことが無い



『法律上では』入退会自由だけど、『実際は』皆がはいるものでしょう。

★『法律上では』入退会自由だけど、『実際は』皆がはいるものでしょう。周りの学校も、それで上手くいっているのだから、調和を乱すべきではないのでは? ★


たしかに、法律が厳しすぎたり、実際の生活に合わない場合は、あるように感じます。

たとえば、自転車の荷台に、乗せることができるのは、子供一人だけで、二人以上のせると、違法になってしまうようです。
安全面から、こういう法律がつくられたのでしょうが、厳しすぎるように感じます。
じっさいは、ほとんどのママさんたちは、自転車の荷台に2人の子供を乗せたことがあるのではないでしょうか。


このように、法律のほうが、実際生活に合っていないとかんじることは、あります。


しかし、、、


それがいえるのは「とくに問題が無いならば」「本当に上手くいっているならば」の話です。
PTAで非常に辛い思いをした人、イヤだと思っている人、たくさんいます。それらの人々の気持ちは「無かったこと」にするということでしょうか。一体、この先、何人の「辛い思いをする人」「イヤな気持ちにされた人」を出すつもりなのでしょうか。

しかも、このPTAというシステムを、問題を抱えたまま、ずっと残して、今の子供たちにも受け継がせようというのでしょう?

それの、どこが、子供たちのためなのでしょうか。

あなたの目的は「子供たちの環境改善」ではなく、「現状温存・組織温存」なのではないかと疑ってしまいます。
「まわりが皆そうだから」「いままでそれで上手くいってたから」、「だから、それでいいじゃない」という発言は、本当に悲しくなります。『いままで、つらい思いをしている人の気持ち、なんにも見てないのだな』と、思い知らされますから。


「法律」だけでなく、「PTA理念」をも、軽視した考え方だと感じます。
PTAの理念は、自主的な善意のボランティア活動を行うものであり、「できる人が、できることを、できるだけ」です。PTAは『有志の集まり』なのです。「周りがそうだから」「今までそうだから」という理由で強制するのは、PTA理念と正反対といえるでしょう。


それに、日本は法治国家です。日本が法治国家であることを否定する発言をするのは、教育団体として非常に問題があるのではないですか。



まさに、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

のような考え方ですね。
「たとえ、間違ったことであっても、周りの人がみんなやっていることならやっても構わない。いや、やるべきだ。やらないと、仲間はずれにされるからな。」
というニュアンスがうかがえます。

もっとも、赤信号を渡るくらいなら、気をつけて渡れば、他人に迷惑がかかることはありません。

PTAのやっていることは、他人に迷惑をかけています。

PTAが入退会自由なんて、みんな知ってることじゃないの?

入退会自由であることは、昔よりかは知っている人が増えてきたようです。しかし、まだまだほとんどの人が知らないといっていいでしょう。役員経験者でさえ、半数しか知らないのですから。
朝日新聞2010(平成22)年2月21日より抜粋
文科省の委託を受け、昨年10月にアンケートを実施したNPO法人「教育支援協会」がシンポを主催した。全国6指定都市の600校でPTA役員経験者630人を対象にアンケートしたところ、入退会の自由を「知らない」は50%を占め、「入会時に説明があった」は17%にとどまった。


入会しない人も、ある程度、います。
全国でPTA任意加入を明示している学校は、少数派ながら、あります。それらの学校では、100%加入のところもあれば、90%前後加入のところもあるようです。50%くらいになったところもあるという話をチラッと聞いた記憶がありますが、定かではありません。いずれにしても、ほとんどが90%以上加入しますし、最悪でも50%ということです。

ということで、知らない人も入会しない人もいます。
明言化する理由は十分あるということです。

PTA会員でない人の子供がケガしたら保険おりないのでは?

PTAが契約しているその保険契約内容によります。
PTA主催・共催の行事中に、参加中の子供がケガなどした場合、会員の子非会員の子かどうかに関わらず、ちゃんと保険はおります。
たいていの場合、そのような契約になっているはずですので、ご確認ください。

PTAのない学校 『けやき小学校』の事例

世の中には、PTAがない学校がたくさんあります。世界ではPTAがない学校のほうが多いでしょうし、日本でもPTAのない学校は少なくないそうです。なかでも、西東京市にはPTAのない学校がたくさんあるそうです。

「PTAのない学校」で一番有名な「けやき小学校」の事例を見てみましょう。


読売新聞オンラインPTA再考(12) 「作らない」も選択肢 より抜粋

 二つの小学校が統合してできた、けやき小には、2001年の開校以来、PTAがない。開校直後、保護者の話し合いは数回持たれたが、結論は出なかった。学校は、PTAがなくても、子供の安全を守る組織は必要と考えて地区委員会を作り、保護者の要望で学級委員会もできた。

 3月までけやき小校長だった児玉健二さん(60)は、統合前の小学校の教頭時代、嫌々役員を引き受ける保護者を見ており、PTA設置を強く働きかけなかった。その後も、保護者から設置の要望が強く出ることはない。

 保護者の支援が必要な時は担任が学級便りなどで呼びかける。月1回の全授業公開で保護者同士の交流もある。「PTAがなくても学校運営に支障はない。保護者に何度も足を運ばせる手間をかけなくてよかった」と児玉さん。
(中略)
 PTAがない学校は全国的に少なくない。PTAに何を求めるのか。組織の根本が問われている。(山田睦子、写真も)

 都道府県組織加入率は93% 日本PTA全国協議会によると、昨年5月1日現在、全国3万2098の公立小中学校のうち、都道府県のPTA協議会に加入しているのは2万9904団体(93.2%)。2200校近くは、都道府県の協議会に未加入か、PTAがないことになる。東京都の加入率が特に低く、1958校中、加入しているのは608校(31.1%)。
(2008年4月2日 読売新聞)




「PTA進化論⑨」より抜粋

PTAが消えて、何か問題はあったのか。特に不都合はありませんでした」と児玉氏。
「保護者に協力をお願いしたいときは担任を通じて呼び掛けるんです。本当に必要なことなら保護者は動いてくれるものですよ」

なるほど、そりゃそうだ。目からうろこが落ちるような回答だった。

学校にとっては問題なくとも、保護者にとってはどうか。まず「役員決めの壮絶なストレスから解放される」のは何はともあれ巨大なメリット。一方で「保護者同士が顔見知りになり、教員との信頼関係を醸成する」PTAの基本が損なわれることはないだろうか。

児玉氏の回答は楽観的なものだった。「PTAはなくても、保護者は自発的にクラスごとの集まりを持っていました。担任と話し合ったり、授業の補助に入ったり・・・。保護者間や教員とのコミュニケーションが悪くなることはなかったですね」

以前、PTAでの信頼関係があったがゆえに、学校での事故をむしろ学びの機会にできた自分の体験を述べた。考えてみれば、あれはPTAである必然性はないのだ。

児玉氏は最後にこう締めくくった。「無理に束ねると教員も保護者も自立できないんです。PTAがないがゆえに、それぞれ立場の違う大人として向き合える、ということもあります」

なんとも含蓄のある言葉。今のままのPTAは「進化」が必要だとますます思うのだ。

PTA必要論 VS PTA不要論

「PTAは、必要です。」「PTAなんて、要らないよね。」どちらのご意見も、多いです。
産経新聞のアンケートによると、どちらの意見も半々というかんじです。人の価値観は多様ですから、いろんな意見があって、いいと思います。
PTAの理念は、全く素晴らしいと感じます。しかし、いまのPTAは、その素晴らしい理念とはかけ離れてしまい、負担ばかりが大きくなっているように感じられるのです。このような事情のある団体ですから、意見が分かれるのも当然です。

それぞれの価値観が尊重されるべきものですが…PTAにおいては「必要」という意見だけがとんでもなく尊重され、「不要」という意見はとことん軽視されています。これはとても「不公平」なのではありませんか?「不要」と思っている人が声に出して言わないせいもありますが、それも『言えないような空気』が、そこにあるからでしょう。また、せっかく声に出して言った場合でも、ヒドイ扱いを受けることが多く、声に出せない状況をさらに強めてしまいます。あまりにも非人間的で、暴力的で、「不公平」ですね。

また、「必要」と思っている人も、ホントにそう思っているのか、はなはだ疑問です。周りに合わせて、そう言っている人が多いのではないでしょうか。「PTAがない学校」というのは日本でも少なくありません。「必要」という人は、PTAのない学校に行っても、自分が一からPTAつくる気ありますか? 本当に「必要」と思うなら、当然そうするでしょう。「必要」というのは、「絶対に要る」という意味なのですから。じっさいは、「必要」と言ってるほとんどの人は、PTAのない学校行っても、全く何もしないのではないでしょうか? つまり、口で言うほど、「必要」ではないのです。本当に必要なら、PTAは世界中全ての学校にあるはずです。それがなくては生きていけないようなものでないと、「必要」と断定し、他人にその価値観を押しつけるような表現は不適当でしょう。特に、権威のある人が「PTAが必要」と言い切ってしまうと、どうしても、「強制・負担増」の面が強く浮き出てしまいます。「PTAが必要」というより、「PTAは大事」くらいの表現にしていただきたいものです。

また、PTA活動の一つ一つでも、時代の流れや個人の価値観によって、必要性(優先順位)が高いものと低いものがあるように思います。どの活動が優先順位が高いか話し合われることもなく、「みんな一緒」「前年度と一緒」だけを、ただただ要求されるのです。このような不公平で閉鎖的な場は、問題が肥大化していきます。どの活動が必要性が高いか話し合ったり、それぞれの価値観において必要性が高い活動を、それぞれが活動していくという方式に変えていくほうが望ましいのではないでしょうか。


【PTAアンケート結果】
産経新聞2009/05/28 より抜粋
【私も言いたい】「PTA改革」 「必要」「プラス」50%台
今回のテーマ「PTA改革」について、26日までに655人(男性433人、女性222人)から回答がありました。「PTAは必要」「子供の教育や親にプラスになる」との回答はともに50%台。「組織改革を行うべきだ」は9割以上に上りました。
 (1)「PTAは必要と思うか」  YES→58%、NO→42%
 (2)「子供の教育や親自身にとってプラスになるか」 YES→52%、NO→48%
 (3)「何らかの組織改革を行うべきか」 YES→95%、NO→5%

このように、「必要」と感じている人でも、「何らかの組織改革を行うべき」と、ほとんどの人が考えているのです。今のPTAは大きな問題を抱えていると感じている人が大多数ということなのでしょうね。川端裕人さんがブログ中で「58パーセントの保護者が参加するPTAをやればいいんですよ! 意義を認めない人を無理に束ねるのは不健全。でも、過半数は確保できているわけだし、それなりの代表性を持って、いい活動ができるんじゃないでしょうか。」とおっしゃってました。その通りだと感じます。


『PTA再活用論』第13回 PTAの全国研究大会をレポートします! より抜粋
コーディネーターの田島氏が、「PTAの役員のなり手が少ないということは、PTA自体を否定されているのかもしれない。PTAはなくてもいいと思われているのではないか」という内容のことを述べて、「おっ、来たな」と思わずぼくは身を乗り出した。けれど、すぐに「パネラーのみなさんには、PTAは必要なんだというお言葉をいただきたい」と続いたために、「逆説的」な問題提起はそのまま流れてしまった感がある。「必要」を前提としてしまったら、問いかけの切れ味が鈍くなってしまう道理だ。

このように、本当に必要かどうかの議論はされません。「必要という言葉をいただきたい。」で終わっています。



【参考リンク】
≫≫ 「必要(NEED)」と「オプション(WANT)」の区別をつけよう

≫≫ PTAのない学校 『けやき小学校』の事例
 PTAがない小学校でも、このように、何の問題もなく運営されているようです。
 こちらの在り方のほうが、よほどPTA理念にかなっているようにみえます。

≫≫ PTAがなくても学校はやっていける

≫ PTA強制入会についての意見きかせてください
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1081869990

個人でがんばっても限度があるからPTAと言う団体で学校に物申す
って意見もあったけど、本当か?
もし、子供がいじめられてますって言う保護者がいたとして、
教師に相談しても解決しなければPTAに相談するか?
で、PTAがイジメをしている子供やその親に何かしてくれるのか?
学級崩壊だって同じ。PTAで学級崩壊を起こしている教師やクラスの子供とその保護者に対し何か行動するのか?
破廉恥教師がいる。子供が嫌な思いをしてる。そのとき、保護者ってPTAを頼るのか?
もし、PTAが団体として解決できるのなら、いじめも学級崩壊もほとんどないはずでしょ?
子供が何かしらの被害者になったとき、親はPTAなんて頼らないと思うけどね
会長の携帯電話、家の電話番号を会員全員に配って、何かトラブルがあったらすぐに連絡してください
PTAとして対処します
なんて話聞いたことが無い



≫ 小学校PTAを脱退(退会)した場合、子供に不利益(被害)はありますか?- Yahoo!知恵袋
  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1239723737


シンポジウムでの議論でPTA推進派は
「入学時に共同購入している名札はどうするのか!!」だそうです。
各家庭で買えませんかねぇ・・・何でも共同ですか・・・一緒にトイレへ的な心理でしょうか・・・
≪周知するかしないかで議論≫していますが・・・PTA・・・ダイジョウブデスカ・・・

PTA活動に賛同している方はそれはそれで良いと思います。
ですが入退会自由、PTAのお金の流れを皆が知る権利はあり
自由に入退会出来るのが本来の姿です。

【 PTA 非会員 】で検索すれば非会員の方のHPなど見れましたよ。

PTAのパトロールについてですが役員だろうが役員でなくても関係なく
不審者発見したり問題が有れば警察に通報したりしていますし
治安は日々地域全体で守るべきで、信号機設置等要望なども誰でも出来ます。
PTAは当番制ですから、私は毎日子供を安全な場所まで送っています。
出先ついでに学校周辺を車で周ったりもしています。
PTA以上に治安には目を光らせていますしタバコ吸っている子供を見つけたら
その場で叱り学校に連絡しますがPTAにお世話になる必要性は感じません。
PTAで委員を決め役割分担する時間と費用は無駄です。
買い物、散歩、病院に行く時など、何かあれば目に付くものですのでは。
PTAで見回りしているから安心!では危険だと思います。
見回りに【ずるい!私も○○なのに!みんなしているのよ!】は無いでしょう・・・
出来ない家庭の分もパトロールするつもりでいて欲しいものです。






≫ PTAは必要ですか? 発言小町
  http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0204/223596.htm?o=0&p=1
 「PTAは必要ですか?」について、
 ものすごく、たくさんの意見がよせられてます。
 平行線・堂々巡りの部分も多いですが。

「PTA役員・委員はやってみると楽しかった」は本当か?


●●「やってみると意外と楽しい。有意義で良かった。」

*これを言う役員・委員経験者はとっても多いのですが、本当に「楽しい」のなら、なぜ、次の年も続けて役員・委員をやる人がほとんどいないのでしょうか?

○「本当は楽しくなかった」
○「楽しいけど、負担感がそれ以上に大きい」
○「自分のやってきたことを否定したくないので、ポジティブに考えて、『楽しい』『勉強になった』と言ってみる。でも、もう二度とはゴメン」

のいずれかではないかと、不安になってしまうのです。

役員のなり手を多くしたいなら、
▽「具体的にどう楽しく、有意義だったのか」をアピールする。
▽「楽しく有意義なのに続けてやる人がほとんどいない理由」をわかりやすく説明し、会員の不安をぬぐう。

を期待します。

*「やってみても、しんどいだけだった。PTAが矛盾だらけの組織だということがよくわかった。」という意見の役員・委員経験者も多い。ただし、役員選考の場などでは、絶対にこのような意見は出てこない。これを言うと、次の役員候補が出てきにくくなるからです。

*役員になると、平均月30時間以上の労働奉仕が要求されます。さらにP連の役員にまで「くじ引き」であたってしまうと、さらなる長時間の労働奉仕が要求されます。
このようなことも、前もって知らせないと、フェアとは言えないと考えます。
役員を実際に体験して感じたメリット・デメリットは数多いでしょう。

役員のメリットもデメリットも、できる限り、前もって伝えることが誠実な態度と考えます。

役員決めどうするの?

PTAが入退会自由となったら、役員決めはどうしたらいいのでしょうか? すこし案を出してみます。

◆案その1 いままで通り

とりあえず、立候補を募集。 立候補がない場合はくじ引き。
どうしてもできない人は、事前に役員さんなどに事情をはなし、免除してもらうといいのでは。
「仕事は免除理由にならない!」
「介護は免除理由にならない!」
なんていうPTAの方々の話はよく聞きますが、そういう高圧的で思いやりのない意見は、やめていただきたいものです。本来なら、無償のボランティア団体に、わざわざ会費はらって属していただいてるだけで、ありがたいはずなのです。プライバシー保護の観点から、皆の前で、家庭の事情を暴露させるというのも、とても問題があるように感じます。せめて先生か、役員さんに話すだけでOKにしてもらいたいですね。
役員さんの負担が大きすぎるのが、役員さん立候補がなかなか決まらない最大の原因のような気がします。負担の大きさが役員決めの難しさに直結します。

「くじ引き」をするというのなら、皆がPTA負担のスリム化に協力すると約束してからするのが、筋だと思います。
「自分は役員をやりたくない!」けど「PTAの仕事(行事など)は大事なものばかりだから、減らしたくない!」というのは、筋も通らないし、他人の事情を考えていないということではないでしょうか。

役員さんには、毎年すこしずつでも、役員の仕事のスリム化を推進していってもらえば、だんだんと役員立候補者も増えてくれるだろうと予測します。
入退会が自由であることを周知しておけば、「あまりに役員の仕事が多くて、来年度、PTAに人が集まらないと困るなあ」と考えてくれる人が多くなると思うので、負担のスリム化やより意義ある活動への置き換えがちょっとずつでも進んでくれるように思われます。(希望的観測かもしれないが!)




◆案その2 役員が決まらないときは「お休み」

「できる人が、できる時に、できるだけ」が、PTAの原則だと思いますし、無理強いしたくないので、役員立候補が集まらないときは、いさぎよく「お休み」するというのもいいような気がします。
クラスで「話し合い」だけでも立派なPTA活動です。これなら司会は持ち回りでやればいいですし、役員さんは必要ありません。このような負担の少ない活動だけをしていくというのも、手でしょう。

決まらない年は、PTAは「お休み」。 もしくは、部分的に「お休み」。

やる気のある人が何人も来てくれたら、再開。

そのまま再開せずに、PTA自体なくなってしまうかもしれませんが、PTAを大事だと思う保護者がそれだけ少なくなってるということですし、皆さんの都合がつかないのですから、別に構わないでしょう。特に誰も困らないと思いますし。

暴論のようですが、PTAがない学校も立派にやっているのですから、別にこれでOKの気がします。

「犠牲者」が出ないというのは、すごくいいことだと感じますので。
「犠牲者」が出るということは、それ以外の会員は全員「加害者」になります。個人的には、加害者にも犠牲者にもなりたくありません。

うちの幼稚園でも、3年ほど前の役員決めのとき、5時間たってもまだ役員が決まらず、後日改めて決めたことがあったそうです。5時間たっても決まらないくらい、皆にとって「やりたくない」ことなわけです。それを無理矢理、誰かにおしつけるということは、したくありません。
役員決めのとき、押し黙る重たい空気の場、「無言地獄」。あれも、本当に嫌なものです。あれが5時間つづく…。子供たちに見せたくない姿です。



ほかに、いい案があれば、ぜひ紹介してください。

PTAの歴史

▼1897年▼
アメリカで、バーニー夫人とハースト夫人がPTAが発足。
幼稚園の設立、児童労働法・少年法の制定、給食・予防接種の普及に活躍する。

ちなみに、アメリカのPTAでは、入会の意思をきっちり聞いている。

▼第二次世界大戦直後▼
GHQの指導のもと、
半強制的に文部省が旗振り役になって、
日本の学校各地にPTAが「自発的に」組織される。

「自主的団体のものであって、他のいかなる団体の支配、統制、干渉をも受けてはならない」

「会員になることも、会員にとどまることも、自覚に基づく個人個人の自由であって、いささかも強制があってはならない」

などの民主的・自主的・自由の方針がかかげられていた。

▼戦後▼
学校に圧倒的に物が足りない時代。
PTAは学校設備を充実させるのに活躍。給食の実施にも活躍。
PTAの意義がわかりやすく、非常にやりがいのある時代だった。

▼高度成長期▼
物がある程度充実しはじめ、PTAの意義が薄くなる。
実質、全員強制参加の義務的な団体となってしまい、負担感が目立ちはじめる。

▼現在▼
不況による収入の低下。共働き家庭の増加。シングルマザーの増加。このような社会現象にともない、多忙な保護者が増える。PTA役員のなり手が少なくなり、PTA活動の負担感がさらに増す。
子供の生活は、物質的に充実し、イベントや遊び場にも恵まれるようになるため、PTAの意義がますます低下する傾向にある。「必要ないのでは」の声が多くなる。
インターネットの普及などで、「PTAが実は任意加入」などの基礎知識や問題点を知る人が多くなる。
日P、県P、市Pでは、「PTAの形骸化」を問題視する声が多くなる。

▼まとめ▼
時代の変化とともに、PTAの意義が薄れ、弊害がめだつようになっている。
社会状況のニーズにあわせたPTAも変化が求められているようにおもわれる。しかし現実には「なかなか変われない」のがPTAのジレンマかもしれない。


PTA自由化の風刺イラスト

言いたいことをパッと直感的にわかっていただくために、イラストを描いてみました。
「ごあいさつ」のページにも貼りつけました。
よかったらご覧ください

(クリックで拡大)
PTA自由化QRつき




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。